
「歴史」の記事一覧

【大阪府太子町】聖徳太子の命日(4月11日)
4月11日は聖徳太子の命日です。叡福寺の寺伝でも4月11日が命日となっています。 聖徳太子の眠る場所がある太子町民にとっては特別な日になりますね。 聖徳太子は622年旧暦の2月22日(現暦4月11日)に亡くなったとされて […]

【大阪府太子町】4月8日は「はなまつり」の日です
4月8日は昔から受け継がれている伝統行事「はなまつり」の日です。 「はなまつり」という言葉から花の行事と勘違いされる方も多そうですが、実は花が由来の行事ではないということをご存知でしょうか? 「はなまつり」は「灌仏会(か […]

【太子町葉室】五右衛門石(ごえもんいし)
大阪府太子町葉室(はむろ)に、あの天下の大泥棒石川五エ門(いしかわごえもん)に関する逸話が残っているのはご存知でしょうか。 その名も「五右衛門石(ごえもんいし)」といい、石川五エ門がここに腰掛けて休憩したという伝説があり […]

【太子町太子】敏達(びたつ)天皇陵に行ってきた
大阪府太子町には、第30代敏達(びだつ)天皇の眠るお墓があります。 大阪芸術大学の近くにある墳墓は大型の前方後円墳で、太子町につくられた最初の天皇陵ではないかと言われています。 太子町は古墳群が多いことで有名ですが、特に […]

【太子町春日】用明(ようめい)天皇陵へ行ってみた
大阪府太子町には、聖徳太子のお父さんである用明(ようめい)天皇の眠るお墓があります。 用明天皇陵は3段になった大型の墳墓で、東西に65m、南北に60m、高さは10mほどの方墳です。 太子町は古墳群が多いことで有名ですが、 […]

【太子町春日】竹内街道(たけのうちかいどう)を旅する人の目印 緑の一里塚(いちりづか)
竹内街道(たけのうちかいどう)沿いを歩いていると木の下に案内板がある光景を目にしたことがあるかもしれません。 この場所は緑の一里塚(いちりづか)と呼ばれています。 緑の一里塚 一里塚とは、古の時代に街道を旅する人々にとっ […]

【大阪府太子町】 屋根の上の鍾馗(しょうき)様
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みなさんは屋根の上で剣を持って長い髭を蓄えている姿の人形を見たことがあるでしょうか? この人形は「鍾馗様(しょうきさま)」という日本では疫病除けと学問成就に効果があるとされている神様なのです。 今回の鍾馗様は太子町の竹内 […]

【太子町山田】孝徳(こうとく)天皇陵へ行ってみた
大阪府太子町には史上初めて元号を定めたとされる孝徳(こうとく)天皇の眠るお墓があります。 太子町山田の竹内街道(たけのうちかいどう)沿いの旧山本家住宅の前にある墳墓は、直径32mの円墳です。 石張りの参道を越えていくと辿 […]

太子町のルーツ山田村と磯長村
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大阪府太子町は、1956年(昭和31年)9月30日に旧山田村と旧磯長村が合併して誕生しました。 この太子町には飛鳥時代の史跡が多く残されており、特に磯長谷古墳群には聖徳太子のお墓も残されています。 「太子」町という名前は […]

【大阪府太子町】太子みそ
毎日の食卓に欠かせない調味料といえば、日本人のソウルフード「味噌」ですよね。 味噌は海外でも「MISO」と表記され、ヘルシーな発酵食品として認知度があがってきています。 そんなお味噌ですが、大阪府太子町でつくられている「 […]

【太子町山田】科長(しなが)神社に行ってみた
大阪府太子町のちょうど真ん中、緑豊かな山に囲まれた場所に科長(しなが)神社があります。 この科長神社は歴史が古く、平安時代927年にまとめられた『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』にも記録がのこっているほどです […]

【太子町山田】推古(すいこ)天皇陵へ行ってみた
大阪府太子町には日本最古の女帝である推古(すいこ)天皇の眠るお墓があります。 太子町山田の南端にある墳墓は、東西59メートル、南北55メートルの大きな大方墳です。 田畑の広がるなか、そこだけ木々が生い茂る神秘的な場所です […]

【太子町山田】小野妹子の墓に行ってみた
大阪府太子町にある科長神社の南側、小高い丘の上に小野妹子のお墓があります。 小野妹子といえば聖徳太子とならび、日本でよく知られている偉人の一人です。 緑に囲まれたのどかな場所で、小野妹子は眠っています。 小野妹子墓 小野 […]