小野妹子の墓に行ってみた

大阪府太子町にある科長神社の南側、小高い丘の上に小野妹子のお墓があります。
小野妹子といえば聖徳太子とならび、日本でよく知られている偉人の一人です。
緑に囲まれたのどかな場所で、小野妹子は眠っています。

小野妹子墓

小野妹子のお墓は科長神社の南側、長い石段を登った先にあります。

階段の途中にはお手洗いへ続く道もあり、その両脇は自然ゆたかな景色が広がっています。

石階段を登りきると、小野妹子のお墓である塚がみえてきます。
階段をあがって近くまでお参りしてみてください。

この場所は、春には美しい桜を楽しむこともできます。

決して華やかではありませんが、穏やかで空気がりんと澄んでいます。
のどかな景色や、のびやかな木々が生命の力強さを感じさせてくれる素敵な場所です。

小野妹子の墓からさらに奥へ進むと、六角形の休憩スペースがあります。
石段で疲れた足を休めながら、周りの景色をゆっくりと見渡してみてはいかがでしょうか。

小野妹子

小野妹子は飛鳥時代に推古天皇や聖徳太子に仕え、活躍した人物です。
滋賀県大津で生まれたとされており、その場所には小野妹子神社も建立されています。

『日本書紀』によると「日出処天子」の文言で知られる国書を届けるため、当時の中国へ遣隋使として派遣されました。
海を渡るのは命がけでしたから、どれほどの覚悟で遣隋使となったのかは想像に難くありません。

没後は大阪府太子町で、縁の深かった聖徳太子や推古天皇のそばで眠っています。

小野妹子について分かっていることは少なく、その多くが謎に包まれています。
日本のために努力された偉人のお墓だと思うと、背筋が伸びる気持ちになりますね。

小野妹子と池坊「華道の祖」のいいつたえ

小野妹子は華道の家元「池坊」において、華道の祖として祀られています。
そのため現在この小野妹子の墓は、池坊によって管理されています。

伝承によると、小野妹子が聖徳太子から京都の六角堂(現在の頂法寺)とそのご本尊を守るよう命じられ、その命を受けた小野妹子が朝夕仏前にお花を供えたことから華道池坊がはじまったとされています。

太子町の塚の前では小野妹子の命日である毎年の6月30日に、池坊の方々と科長神社の宮司により道祖・小野妹子墓前祭が執り行われています。

行き方

近鉄長野線「喜志駅」より金剛バスに乗り換え、「推古天皇陵前」または「山田」で下車します。そこから15分ほど歩いた先の科長神社のそばにあります。
徒歩やお車でお越しの際は、道の駅近つ飛鳥の里・太子を目印に歩いて15分ほどです。

住所:大阪府南河内郡太子町大字山田3751(近くの科長神社の住所です)