【太子町山田】7月30日(日)科長(しなが)神社御祭禮(ごさいれい)山田だんじり祭 本宮(ほんみや)

30日(日)は科長(しなが)神社御祭禮(ごさいれい)山田だんじり祭の本宮!!

本宮の日は、地元の氏神様に参拝をします。山田地区の氏神様は科長神社です。

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宮入の様子

科長神社にだんじりが入る「宮入」の様子をご紹介します。

後屋

朝9:00から1台目「後屋」のだんじりが科長神社の鳥居をくぐって宮入し、やり回しを行いました。

後屋のだんじりは船形ですが、そのほかの部分は「石川型」の造りの特徴が色濃く出ています。

大道

続いて2台目「大道」です。

大道のだんじりには部材にヒノキが使われています。

屋根の勾配が急で深く8本の丸い柱を持つ南河内特有の「石川型」です。

東條

威勢のいい掛け声とともに3台目「東條(ひがんじょ)」が、磯長丸という大漁旗とともに宮入しました。

この東條の船形だんじりが大阪に現存する船形だんじりとしては最古のものとされています。

船尾に「磯長丸」と彫られており、山田地区のだんじりの中で唯一地車に名前があります。

実はこのだんじりはもともと永田町のもので、制作にあたり財源となったのは山田の富豪だった油伊の「田中家」です。

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西町

4台目に宮入してきたのは、真っ赤な「西町」です。

西町のだんじりの制作に携わった宮大工の相野伊兵衛は、科長神社拝館再建の際に彫物を担当しました。

永田

最後に「永田」の宮入です。

永田のだんじりは山田地区の中で唯一「石川型」ではないだんじりです。

昭和49年にもともと持っていただんじりが焼失してしまったため、新たに別のところから購入したためといわれています。

水引きについて

5台すべてが勢ぞろいし、だんじりに水引き幕がかけられていきます。

ほとんどの水引きは江戸時代から使われているもので、錦金の刺繡がとても美しいです。

各町内の水引き紹介

後屋

制作時期不明。(群仙図)中国の仙人伝に登場する人物を配したもの(東條と類似)

大道

1964年制作。富士の巻狩図 源頼朝の富士の巻狩りを表現

東條

1807年制作。萌黄羅紗(もえさらしゅ)(群仙図)中国の仙人伝に登場する人物を配したもの

西町

1855年制作。中国の7人の賢人を配したもの

永田

1819年制作。猩々緋(しょうじょうひ)(追い龍図)2頭の龍。龍が持っていた玉はなくなっている。

だんじりのお祓い

すべてのだんじりが水引きを付け終わると、1台1台科長神社の宮司に祓い清めてもらっていました。

今年の宮入1番の「後屋」より、三番叟(さんばそう)の奉納もおこなわれました。

三番叟は、日本の伝統芸能。式三番(能の翁)で、翁の舞に続いて舞う役、あるいはその舞事。
能楽では狂言役者が演ずる。 Wikipediaより

去年はなかったので、4年ぶりの奉納となります。

曳き手が舞台を支え、三番叟は後屋地区の若者が演じます。

三番叟

続けて山田地区の子供たちによる八社太鼓の奉納がありました。

 

太子町のだんじり祭は、たいへん歴史の長いお祭りです。

曳き手不足の問題などありますが、町の平穏や、五穀豊穣を祈る大切な伝統を大切に守っていってほしいですね。

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太子町のだんじりの歴史については「【太子町山田】科長(しなが)神社の夏祭りとだんじり」の記事をお読みください。

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