【大阪府太子町】太子みそを作ろう!糀づくり編 更新日:2022年10月22日 公開日:2022年10月13日 文化歴史 太子町には、昔から伝わる製法で作る「太子みそ」があります。 【大阪府太子町】太子みそ その太子みその制作を体験できる体験教室が10月15日から行われるのですが、教室に先立ち、みそづくりの基本となる「糀づくり」が行われまし […] 続きを読む
【太子町春日】2022年 春日神社の秋祭り 公開日:2022年10月11日 イベント寺社歴史 10月9日(日)の13:00から春日神社で「秋祭り」が行われました。秋祭りは主に、今年の収穫を感謝して行われるものです。 あいにくの雨模様でしたが、感染症拡大に伴って中止されてから2年ぶりの開催となりました。 幣殿(へい […] 続きを読む
【大阪府太子町】太子町の方言でもある「南河内弁」ってどんな方言? 更新日:2023年5月30日 公開日:2022年10月7日 歴史 太子町の方言は「河内弁」と呼ばれ、大阪府東部の河内地方(旧河内国)で使用されている日本の方言です。 その「河内弁」の中でも特に南に位置する「南河内郡」の美原町、狭山市、富田林市、河南町、千早赤阪村、そして太子町では「南河 […] 続きを読む
【太子町山田】山田村の歴史と暮らし 公開日:2022年9月30日 歴史 大阪府の東部、北河内・中河内、南河内が含まれるあたりは「河内国(かわちのくに)」という旧国でした。南北朝時代には南朝の本拠地に近い土地だったため、たびたび合戦場となっていたようです。 その当時、太子町山田・畑周辺は「河内 […] 続きを読む
【太子町山田】日本では珍しい石窟寺院の史跡 岩屋(いわや) 更新日:2023年4月18日 公開日:2022年9月22日 史跡歴史 あまり聞きなれない「石窟寺院」という、岩を掘って作られた寺の史跡が二上山に残っています。 この石窟寺院は「岩屋(いわや)」と呼ばれており、1948年(昭和23年)に国定史跡に、2021年(令和3年)7月に日本遺産の構成文 […] 続きを読む
【大阪府太子町】太子みかんの歴史をご紹介します! 公開日:2022年9月6日 歴史観光農業 大阪府太子町といえば、特産品の「太子みかん」が有名です。 太子町は丘や傾斜地が多く、昔からたくさんのみかんが生産されてきました。 紅葉のころ、斜面の木々に黄色いみかんがたわわに実る光景は、太子町の秋の風物詩ですね。 今回 […] 続きを読む
【太子町太子】南林寺(なんりんじ)と護摩厳修(ごまごんしゅ) 公開日:2022年8月30日 寺社歴史 高野山真言宗「南林寺(なんりんじ)」は、叡福寺の南大門向かいにある西方院より、さらに奥まったところに建っています。 もとは叡福寺の僧が集まって修行する最古の伽藍(がらん)講堂でした。 南林寺に祀られている阿弥陀如来像は聖 […] 続きを読む
【太子町山田】油屋 田中家 更新日:2022年9月18日 公開日:2022年8月23日 史跡歴史 8月23日は「油の日」となっています。 日本初の大がかりな搾油を行い、油の専売特許を持っていた京都の離宮八幡宮が、九州から現在の大山崎町に遷宮された日なのだそうです。 太子町と油商 江戸時代の照明(灯明油)には、主に菜種 […] 続きを読む
【大阪府太子町】8月18日はお米の日!北海道寒地稲作の礎を築いた中山久蔵の話 公開日:2022年8月18日 歴史農業 8月18日は「お米の日」です。 北海道の有名なお米「ゆめぴりか」や「ななつぼし」と、大阪府太子町に実はご縁があることをご存知ですか。 「ゆめぴりか」たちの誕生に欠かせない寒地稲作(かんちいなさく)の基礎を確立した中山久蔵 […] 続きを読む
【大阪府太子町】終戦の日 二上山雌岳監視硝の記録 更新日:2023年4月11日 公開日:2022年8月15日 歴史 8月15日は「終戦の日」です。 1939年から1945年の間に起こった第二次世界大戦が日本の降伏によって終わった日です。 2022年の今年、終戦から77年が経っています。 大阪では第二次世界大戦末期の1945年3月に大阪 […] 続きを読む
【大阪府太子町】太子町の道標~竹内街道~後編 公開日:2022年8月11日 史跡歴史 8月10日の記念日「道の日」にちなみ、2日連続で太子町の道標をご紹介しています。 こちらは後編です。前編をまだお読みいただいていない方は、ぜひ合わせてご覧ください。 【大阪府太子町】太子町の道標~竹内街道~前編 大阪府太 […] 続きを読む
【大阪府太子町】太子町の道標~竹内街道~前編 更新日:2022年10月11日 公開日:2022年8月10日 史跡歴史 8月10日は「道の日」です。 国土交通省が昭和61年(1986年)に制定しました。 太子町は町の様々な場所に、行き先や地名を示す石でできた道標が建っています。 道標のほとんどが明治以前のもので、道をよく知らない旅人のため […] 続きを読む