5月13日(土)に太子町立万葉ホールで竹内街道歴史資料館友の会会員限定の記念講演会が開催されました。
今回の講演会のタイトルは「親鸞聖人(しんらんしょうにん)と聖徳太子 親鸞聖人御誕生850年をむかえて」です。
講師には大阪大谷大学の文学部歴史文化学科から梯 信暁(かけはし のぶあき)教授がお見えになっていました。
梯教授は、仏教学・日本仏教史の専門家で西本願寺の僧侶でもあります。
講演内容について
全員に資料を配っていただき、参照しながら梯教授のお話が進んでいきました。
親鸞聖人の一生
親鸞聖人は9歳で得度(とくど)し20年間比叡山で過ごしました。
35歳の時に法然上人とともに遠流となり越後へ流されました。そして42歳のときに妻子とともに常陸国(ひたちのくに 現在の茨城県)へ移住されたのです。
顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)について
講座では、親鸞聖人が52歳ごろに記した「顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)」の解説もありました。
「顕浄土真実教行証文類」は全6巻の浄土真宗の根本聖典です。
親鸞聖人は、この「顕浄土真実教行証文類」を80歳くらいまで自ら推敲していたと言われています。親鸞聖人には筆跡鑑定研究が行われており、筆跡で親鸞聖人の何歳ごろの文字なのかが判別できるため、推敲の様子が解明されました。
この「顕浄土真実教行証文類」は教科書では「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」と略すそうですが、梯教授は「書籍名は省略せずに掲載する」のがこだわりだとおっしゃっていたのも印象的でした。
親鸞聖人の肖像画
また親鸞聖人の肖像画「安城の御影(あんじょうのごえい)」と「鏡御影(かがみのごえい)」については、その表現の違いや小物類の歴史考察など、笑い話も含めながらわかりやすく教えてくださいました。
親鸞聖人と叡福寺
太子町の叡福寺にある見真堂(けんしんどう)のご本尊は、親鸞聖人の坐像です。
言い伝えによれば親鸞聖人が88歳の時にこの像を刻んだとされており、見真堂の見真は親鸞聖人が死後に送られた諡号(しごう)「見真大師(けんしんだいし)」から来ています。
親鸞聖人と「廟窟偈(びょうくつげ)」
親鸞聖人はこの地に参籠(さんろう)し、聖徳太子、母君、妃が埋葬されていることから「三骨一廟(さんこついちびょう)」の文を感得(かんとく)したのだそうです。
その由来は叡福寺にある「廟窟偈(びょうくつげ)」に示されています。
親鸞聖人と聖徳太子
親鸞聖人は、聖徳太子を大変崇拝していて聖徳太子のことを「聖徳皇(しょうとくおう)」「上宮皇子(じょうぐうおうじ)」と呼んでいた文が残されています。
親鸞聖人の記した文を、梯教授が現代語訳してくださっていました。教授ご本人は訳がよく学生に気持ち悪がられるなどと笑いを誘っていましたが、テンポよくわかりやすく読めるものでした。
親鸞聖人は民間信仰の「聖(ひじり)」へ
最後に親鸞聖人が僧侶の身分を奪われ流刑されたのち、仏教僧とはまた違う民間信仰の司祭者に当たる「聖(ひじり)」となって講演をしながら家庭生活を送った逸話は、大変興味深いものでした。
講演会の参加者は、20名を超えており皆さん最後まで熱心に話を聞いていました。
竹内街道歴史資料館友の会入会のご案内
今回のような歴史講演は、竹内街道歴史資料館の友の会に入会すれば無料で参加することができます。
歴史に造詣の深い専門家をお招きしてご講演いただくので、普段は知ることができないようなお話をたくさん聞くことができますよ。
友の会は歴史が大好きな方々が集まっているため、いつもとても和やかで楽しく参加させていただいています。
友の会にご興味のある方は、「竹内街道歴史資料館「友の会」会員募集中です!」より詳細をご覧ください。