大阪府太子町の科長(しなが)神社で、7月の第4日曜日に夏祭りが開催されます。太子町周辺では山田地区だけが、だんじりが出る夏祭りを行っています。
江戸時代には旧暦の6月8日に夏祭りを行っていましたが、明治の末に新暦の7月27日に変更されました。
科長神社の夏祭りは主に五穀豊穣を祈願したものですが、祭神が風の神であるため台風などの時期に厄災を払う目的があったのではないかとも考えられます。
だんじりとは山車(だし)を神社へ奉納するお祭りです。
だんじりの漢字は何種類もありますが、関西では「地車」と書くのが一般的です。だんじりの山車は、主にケヤキを用いられています。いくつもの彫刻が施され、装飾以外に釘などはなく日本の伝承技術である宮大工の技巧が使われています。
実は科長神社の鳥居は標準よりも高く作られており、夏祭りで使う山車の高さに合わせたためとも言われています。
太子町山田のだんじり
夏祭りの当日は午前中に町内会の人たちに曳かれただんじりが科長神社の境内に入り、午後には神社を出て町内を曳き回ります。
だんじりには大きく分けて「曳きだんじり」と「担ぎだんじり」の2種類があります。太子町では車輪(コマ)のついた山車を曳き回す「曳きだんじり」です。
山田の町内会は5色に分けられていて、担ぎ手のはっぴも色分けがされています。
赤→西町、青→後屋、黄色→永田、桃色→東條(ひがんじょう)、緑色→大道となっています。
山車の形の謎
山車の形も町内でそれぞれ違っています。大道・永田・西町は一般的な船首のない形の「トコだんじり」で、後屋・東條は山車の中でも珍しい船形の「船(ふな)だんじり」です。
永田の以前の山車は焼けて失われてしまいましたが、元は船だんじりだったそうです。山に囲まれたこの太子町でなぜ5台中3台が船型のだんじりなのか、理由ははっきりわかっていません。
だんじりには、南河内特有の「石川型」という造り方があり、山田の中では大道、西町のだんじりが「石川型」です。屋根が曲線で急傾斜、屋根を8本の丸柱で支えているというのが「石川型」の特徴です。
太子町山田の山車は、京阪神最古のだんじり!
大道のだんじりは、山車の小屋根内側から「世話人/三左衛門/伊左衛門/藤七/文化四卯六月日/細工人/宮屋文藏/小松源蔵」と書かれた銘札が見つかっています。
銘札にかかれている文化四年は1807年です。そのためこの大道のだんじりは、岸和田を含めた京阪神地域のだんじりの中で、最古のだんじりと推測されていました。
ほかにも太子町に伝わる古文書に「町内壇尻入用伊兵衛分百州四文渡」という記述があり、それが書かれたのが寛政十一年(1799年)となっています。この記録により、山田のだんじりの歴史は江戸時代中期にまでさかのぼる事が分かります。
ところが、今度は東條のだんじりから新たな銘札が見つかりました。そこには「天明七未年●夏/●浪花華彫物一式佐武宗七/六十一歳之●●●」(●は解読不明)と書かれていました。
天明七年とは1787年であるため、いままで最古と言われていた大道のだんじりより、さらに古いものが見つかったことになります。
2023年(令和5年)のだんじりスケジュールについては、「曳行スケジュール」の記事を参考にしてください。
※本記事のだんじり写真はすべて太子町大道の筒井完次氏からご提供いただきました。ご協力ありがとうございます。
アクセス
名称 | 科長神社 |
神社コード | 11011 |
鎮座地 | 〒 583-0992 大阪府南河内郡太子町大字山田3751 |
アクセス | 近鉄南大阪線「上ノ太子駅」より金剛バス「畑・白石線」に乗り換え「科長神社口・ふくの音前」で下車 |
地図 |
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