山田村の歴史と暮らし

大阪府の東部、北河内・中河内、南河内が含まれるあたりは「河内国(かわちのくに)」という旧国でした。南北朝時代には南朝の本拠地に近い土地だったため、たびたび合戦場となっていたようです。

その当時、太子町山田・畑周辺は「河内国石川郡山田庄」という地名でした。

明治14年に大阪府の管轄下に、明治22年の町村制で「大阪府石川郡山田村」になります。石川郡が南河内郡に変更されたのは明治29年の事でした。

山田村の氏神は「科長(しなが)神社」で太子町のだんじりが奉納されるのも科長神社です。

【太子町山田】科長(しなが)神社に行ってみた

太子町のルーツ山田村と磯長村については、こちらからお読みください。

太子町のルーツ山田村と磯長村

山田村の名産品

山田村では、紫草や茜草の根を使った染め物「山田染」がありました。根自体も染料として京都の染屋へ売っていたようです。

綿花や藍の栽培、河内木綿の取り扱いが多く、藍染めとともに山田村では広く家内工業として生産されていました。出稼ぎのひとが九州のほうからも来るほどで主に布団や、軍手、軍足になり当時は一大産業となっています。

また金剛砂(こんごうしゃ)が山田村の名産でした。この砂は二上山の火山活動により噴出した天然の鉱物です。石材や刀剣の研磨剤、紙やすりの材料として使われました。

昭和60年ごろまで、研磨剤や紙やすりの生産も太子町のひとつの産業でした。

1801年に発行された江戸時代の観光ガイドブック「河内名所図会」の中で、二上山から流れ出ている川で金剛砂を採取している様子が描かれています。この場所は唐川で、現在の太子温泉の周辺です。

山田村の金剛砂
写真:国立国会図書館ウェブサイト 河内国名所図会

【太子町山田】唐川(からかわ)でホタルに出会う

令和4年度企画展「近世山田村のくらしー田中家文書よりー」

10月1日から12月4日にかけて、太子町竹内街道歴史資料館にて「近世山田村のくらしー田中家文書よりー」という企画展が開催されます。

太子町山田で油問屋を営んでいた田中家。その田中家に保管されていた貴重な文書を展示し、近隣県との交流や寺社とのかかわりなどの歴史をなぞります。

田中家の資料を紐解きながら、太子町の新たな歴史を学ぶことができるまたとない機会となっていますので、期間中はぜひお時間を見つけて竹内街道歴史資料館へお越しください。

【太子町山田】竹内街道(たけのうちかいどう)歴史資料館に行ってきた

【太子町山田】油屋 田中家

※町内在住の人に限り令和4年の広報たいし10月号を持参すると2名まで入館無料(1回のみ)町内在住の小学生は入館無料

アクセス

名称 竹内街道歴史資料館
所在地 大阪府南河内郡太子町山田1855
電話番号 0721-98-3266
開館時間 9:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日 毎週月曜日(その日が休祝日の場合は開館) 年末年始(12月28日~1月4日)
入館料 一般200円、高大生100円、小中学生50円(特別展示期間中は入館料変更の場合あり)
アクセス 近鉄南大阪線「喜志駅」か「上ノ太子駅」から金剛バスに乗り「六枚橋東」で下車 徒歩10分
地図

土日祝は太子町コミュニティバス(畑南~太子町役場区間)が運行しています。

お車でお越しの場合は、南阪奈道路太子ICでおりてから南河内グリーンロードを経由し、国道166号へ入って5分ほど走ると見えてきます。
道の駅「近つ飛鳥の里・太子」の駐車場を利用すると便利です。

時期によっては特別展示が行われていることや展示室を閉鎖していることもあるので、資料館へ立ち寄る前にホームページで最新情報をチェックしてください。