大阪府太子町市民の憩いの場、太子・和みの広場に行ってきました!
和みの広場は聖徳太子のお墓がある叡福寺の東にある、11,000㎡のおおきな芝の広場です。
広い駐車場をぬけると、笑顔のかわいらしいたいしくんの像が迎えてくれます。
大きな看板には「聖徳太子と日本遺産のまち 太子町」の文字とともに、太子町名産のみかんやぶどう、たいしくんが描かれており、ついつい笑みがこぼれます。
たいしくんのラッピング自販機もあり、こちらは災害時に飲み物を受け取ることができる災害用ベンダーとしての機能も備えているんですよ。
太子町立 太子・和みの広場とは
和みの広場は太子町の歴史的な景観の保全や、歴史・文化学習の場として活用するため、2004年にオープンしました。
イベントを行うことができる野外ステージや、大きな芝の広場などが整備されており、毎月第3日曜日には「聖徳市」という町民主催の青空市場も開かれています。
近くには聖徳太子のお墓がある叡福寺をはじめとして、ittouカフェでもご紹介した西方院、泥かけ地蔵尊や春日神社などのスポットがあります。
また、歴史国道に指定されている「竹内街道」へのアクセスも良好なので、太子町巡りの拠点としても大活躍です。
駐車場やお手洗いが無料なのもうれしいポイントですね!
史跡がたくさんあります
のんびりできる和みの広場ですが、たくさんの史跡めぐりも楽しむことができます。
和みの広場に点在する「聖徳太子絵伝石碑」や「十七条憲法石碑」を探すのも楽しいですし、「聖徳太子墓石室模型」も見ることができます。
特に見ごたえがあるのが大阪府指定有形文化財の「松井塚古墳石棺」や「尼ケ谷古墳石室」を移築復元したものです。
【松井塚古墳石棺】
昭和33年に太子町山田で発見された古墳に収められていた石棺です。
全長2.5m、幅1.3m、高さ1.68mの巨大なもので、通常の石棺と作りが異なる珍しい形をしています。
石棺には人骨のほかにお皿など多くの副葬品が入っており、お墓の主はかなり身分の高い方だったと考えられています。
日本の古墳時代を研究する考古学からみても、とても重要な資料のひとつです。
【尼ケ谷古墳石室(移築復元)】
平成12年に道路工事の前に行った太子町の発掘調査で発見されました。
お墓の墳丘は亡くなってしまっていましたが、残っていた石室を和みの広場に移して復元しています。
石室の中からは石棺や金属製の耳飾り、ガラスの管玉などの装飾品が見つかっており、6世紀後半頃に作られたと推定されています。
このような貴重な史跡が太子町にあるなんて、驚きですね。
古墳時代から太子町では、たくさんの人が暮らしていたのでしょうか?
聖徳市(しょうとくいち)
和みの広場では、毎月第3日曜日に聖徳市というフリーマーケットが開催されています。
いつもはおだやかな和みの広場も、この日ばかりは活気にあふれています。
太子町の特産品やたいしくんグッズはもちろん、ハンドメイド商品や似顔絵屋さんなど様々な出店でにぎわいます。
新鮮野菜も購入できるので、覗いてみるととても楽しいですよ!
※4・8・10・11月は下記イベントと合同開催されていますのでご注意ください。
4月 叡福寺大乗会式/太子聖燈会
8月 商工会太子町支部の夏祭り
10月 竹内街道灯路祭り
11月 ふれあいTAISHI
アクセス
名称 | 太子・和みの広場 |
所在地 | 大阪府南河内郡太子町太子2150 |
アクセス | 近鉄南大阪線「上ノ太子」駅から金剛バスに乗り、「和みの広場前」で下車 |
※ | 太子町のコミュニティバスでも「和みの広場前」まで来ることが可能 |
地図 |
お車でしたら、国道170号線から「旭ヶ丘」交差点から東に進に進み「叡福寺東」交差点を左折してすぐ左側に駐車場入口があります。
高速道路からは南阪奈道路羽曳野東ICでおりて南へ進むと広場駐車場が見えてきます。
駐車場は無料です。