かるたでめぐる太子町「け:権威の象徴 鶏型埴輪(にわとりがたはにわ)」

シリーズ「かるたでめぐる太子町」では、筒井完次さんの「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」を解説しています。

【大阪府太子町】「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」のご紹介

かるた作成者である筒井先生におこなったインタビューはこちらからご覧ください。

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太子町の歴史や史跡を紐解くこのコーナー、先週は「く:楠(くすのき)の天然記念物 鎌田邸(かまたてい)」をご紹介しました。

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本日は「く」に続き、「け」のかるたである太子町で発見された「鶏形(にわとりがた)の埴輪」の句を解説します。

「け:権威の象徴 鶏型埴輪(にわとりがたはにわ)」

「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」の「け」の読み札は、「け:権威の象徴 鶏型埴輪(にわとりがたはにわ)」です。

絵札には、赤い土を練り、素焼きで作られた鶏が描かれています。目はとても小さな穴が開けられ、羽の部分は何本もの太い線で表現されています。

鶏の後頭部には立派な鶏冠(とさか)があることから、この鶏は雄(オス)であることが分かりますね。

そして、かるたの説明書きには以下のように解説されています。

「太子字九流谷の丘陵で発見された鶏型埴輪。付近の古墳に飾られていたものと考えられる。夜明けに泣く雄鶏は古代の人にとって権威の象徴と考えられていた。」

こちらの埴輪は、実物が竹内街道歴史資料館に展示されています。

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鶏型埴輪

埴輪とは、今から約1700年前の古墳時代に、墓の周辺に埋葬するために作られた人間や動物の形の像のことです。

この像は土から作られており、厚手で赤みを帯びていることが多く、太子町から出土した鶏型埴輪も赤に近い色合いをしています。

埴輪には、人や牛、馬、鳥、魚などさまざまな種類ががあり、それぞれ意味があるとされています。

その中でも鶏は、古墳時代に生きた人にとって時を告げる神聖な動物の象徴であるとされていました。

夜明けに鳴き、朝が来ることを知らせてくれる雄鳥は古代人と結びつきが深く、鶏に対する特別な意識があったとされています。

南河内郡太子町にある九流谷(くりゅうだに)の丘陵で出土した鶏型埴輪は大阪府の指定有形文化財として昭和52年3月31日に登録されました。

九流谷の丘陵は全国でも珍しい「前方後円墳」で、5世紀前半に作られたと考えられています。

現在、九流谷の丘陵は開拓されぶどう畑に覆われているため、足を踏み入れることはできませんが、周辺には他にも5ヶ所ほど古墳が存在した形成が残っており、近くには「吉田山古墳」があります。

太子町は「王陵の谷」とも呼ばれるように、古墳が多く存在するためウォーキングがてら古墳を探してみてくださいね。

アクセス

名称 九流谷古墳(くりゅうだにこふん)
所在地 〒583-0995 大阪府南河内郡太子町太子
アクセス 太子の交差点を左折後、府道27号線から500メートルほど
地図