今回は大阪府太子町にある「二子塚古墳(ふたごづかこふん)」へ行ってきました。
二子塚古墳は、太子町にある天皇陵などを中心とした「磯長谷古墳群(しながこふんぐん)」のひとつで、飛鳥時代につくられたとみられています。
日本でただひとつの「双方墳(そうほうふん)」であり、学術上の価値が高いことから1956年(昭和31年)11月28日に日本の史跡にも登録されています。
この二子塚古墳は推古天皇陵にほど近く、周りは田んぼだけというとても落ち着いた場所にありました。
二子塚古墳とは
二子塚古墳は東西約66m、南北約33m、高さ約6mほどの双方墳で、全国的にも珍しい「方墳(ほうふん)」という正方形の古墳をふたつつなぎ合わせた形をしています。
方墳はそれぞれ1辺は約26mほど、全長が60mの大規模な古墳であるため、この墳墓の主はかなり身分の高い人物だったと考えられています。
南北どちらにも横穴式石室があり、両方ともかまぼこ型の蓋を使った刳抜式(くりぬきしき)の家形石棺です。
二子塚古墳は江戸時代にはすでに古墳として知られており『河内名所図会』という本にも「二子塚山田村。推古陵の東にあり。二ッ双ふをもつて名によぶ。」として図と記録が残っています。
近年古墳の劣化が進んだため、太子町では保存のための発掘調査を行うなど整備が進められています。
二子塚古墳は推古天皇陵なのか?
二子塚古墳は推古天皇のお墓だったのではないかという説があります。
現時点では、推古天皇の墓は宮内庁が「山田高塚古墳(やまだたかつかこふん)」を指定しています。
しかし、二子塚古墳が天皇クラスの規模をもつ墳墓であることや、2人分の石棺が見つかっていることから、息子の竹田皇子と合葬された推古天皇の心のお墓なのではないかとも考えられています。
残念ながら二子塚古墳はすでに盗掘されており、山田高塚古墳は発掘調査を行うことができないためどちらが真の推古天皇陵なのかはわかりません。
山田高塚古墳と二子塚古墳は200メートルほどしか離れておらず、向かい合ってお互いがよく見える位置にあり、よく似た作りになっています。
真偽の程は定かではありませんが、歴史のロマンを感じますね。
二子塚古墳を見学しよう!
二子塚古墳の東墳丘石室内は、太子町観光ボランティア「太子・街人の会(がいどのかい)」の引率で見学することができます。
費用は参加者一人あたり200円で、少人数から30名ほどまで案内してくださいます。
ご希望の際は、原則1週間前までに太子町観光・まちづくり協会にメールまたはファックスでお申込みください。
詳しいお話を伺いながらの見学は、とても勉強になりますよ。
アクセス
名称 | 二子塚古墳 |
所在地 | 大阪府南河内郡太子町山田 |
アクセス | 近鉄南大阪線「上ノ太子」駅から太子中央循環線に乗り、「推古天皇陵前」で下車 |
近鉄長野線「喜志」駅から太子葉室循環線に乗り、「推古天皇陵前」で下車 | |
地図 |
※お手洗い、駐車場なし