金剛バスは、1985年の運行開始以来、太子町内を縦横無尽に走り、住民の足として重要な役割を果たしてきました。

そして本日、2023年12月20日をもって長い歴史に幕を下ろします。

太子タウンでは、金剛バスに敬意を表し、「金剛バスの歴史」「サービス終了の背景」、そして「これからの太子町の交通事情」について詳しく説明します。

金剛バス終了へのカウントダウン

大阪府の太子町、河南町、千早赤阪村を含む南河内郡では、金剛バスの運行終了が近づくにつれ、地域の交通問題が注目されてきました。

2023年9月にこのニュースが発表されて以来、地域の足としての金剛バスの代替えについて活発な議論が行われています。

そして本日12月20日をもって金剛バスの歴史が幕を閉じます。

金剛バス側面

金剛バスの歴史

金剛バスは、1925年(大正14年)に金剛自動車乗合組合としてスタートし、1937年(昭和12年)に金剛自動車株式会社として設立されました。

初代社長は佐竹三吾氏です。

1930年代の全国乗合自動車総覧によると、当時は1台のバスで太子口乗合自動車合資会社が南河内郡内を運行しており、現在の金剛バスのルートに近いものでした。

金剛バスサービス終了の背景とは?

この決定に至った背景には、いくつかの重要な要因があります。

まず、運転手不足が深刻化していることが挙げられます。

運転手の確保が困難になったことは、事業継続における大きな課題となりました。

さらに、経済面でも厳しい状況に直面しています。

燃料費の高騰は、運営コストを大幅に増加させ、利益を圧迫しています。

金剛バスは既に貸切バスやタクシー事業から撤退しており、これらの要因が重なって、路線バス事業の廃止を余儀なくされました。

運行がおこなわれていた富田林市、太子町、河南町、千早赤阪村の4市町村では金剛バスの廃止を受けて協議を行い、新たな公共交通システムの導入を決定しました。

この新しい公共交通は、明日、2023年12月21日からスタートし、地域の移動手段としての新たな役割を担うことになります。

これからの太子町の交通事情

12月20日以降は、3分の2の路線で運行が継続されることが決定しました。

金剛バスの運行時と比較して、便数の減少やバス停の廃止などがあるので、今一度ご自身が乗車されるバスの時刻表をよく確認しておく必要があります。

大阪府太子町のバス時刻表や変更点につきましては、「12/21〜 新しい公共交通スタート!」の記事や、こちらのPDFの時刻表をご覧ください。

【大阪府太子町】12月21日からの公共交通について

おわりに

金剛バスは、大阪府南東部の富田林市、太子町、河南町、千早赤阪村を結び、地域住民の日常生活に深く根ざした存在でした。

地域の人々にとって単なる移動手段ではなく、人々の生活の一部として深く愛されてきました。

バスが通ることで生まれた絆、乗客と運転手の間に交わされた会話、そして毎日のように繰り返された日常の風景は、多くの人々の心に刻まれています。

金剛バスが長年にわたり果たしてきた役割は、決して忘れられることはありません。

金剛バスが運行してきた長い間、地域に提供してきた貴重なサービスに心から敬意と感謝を表します。

ー太子タウン一同ー