毎週1文字ずつ筒井完次さんの「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」ご紹介しているシリーズ「かるたでめぐる太子町」、今回は葉室(はむろ)公園です。
かるた作成者である筒井先生におこなったインタビューはこちらからご覧ください。
太子町の歴史や史跡を紐解くこのコーナー、先週は「け:権威の象徴 鶏型埴輪(にわとりがたはにわ)」をご紹介しました。
本日は「け」に続き、「こ」の太子町にある「葉室公園」にまつわる句をご紹介します。
「こ:古墳が集まる 葉室公園(はむろこうえん)」
「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」の「こ」の読み札は、「こ:古墳が集まる 葉室公園(はむろこうえん)」です。
絵札には、秋の紅葉に色づいた葉室公園と丸い形をしたモニュメントの「万鏡」が描かれています。
「万鏡」は、大阪芸術大学講師の壺井勘也さんがデザインし、平成4年の3月に設立した作品で、「豊かな緑と歴史に包まれたこの地が、万葉人のおおらかさをこの万を写す鏡に託し、左右の太古のいぶきと未来へのいぶきを交互に配して大顔面に謳歌し自然環境に調和する」という願いが込められています。
そして、かるたの説明書きには以下のように解説されています。
「葉室古墳群は7世紀の大古墳が4つも営まれた古墳群。その規模は当時の天皇陵にも比肩(ひけん)する立派なものであった。」
太子町にある葉室公園
葉室公園は太子町と隣町である河南町の境目にある公園で、園内に古墳が存在する歴史公園です。
太子タウンでも以前「葉室公園」の記事を掲載していますので、こちらもお読みください。
7世紀前半に作られたとみられる「超前塚古墳(こしまえづかこふん)」に加え、「モンド神塚古墳」「釜戸塚古墳」「石塚古墳」が周辺に存在し、「葉室公園」として整備されています。
この古墳群の規模はとても大きいため、皇族、貴族、または大富豪の墓でなないかといわれていますが、今だ誰が葬られていたのか、誰のために作られたのかは分かっていません。
どの古墳も6世紀〜7世紀にかけて作られたものとみられ、手つかずのまま現在もその姿を残しています。
当時の歴史を解明することができるかもしない貴重な古墳群を公園内で身近に見ることができますよ。
葉室公園は夏には紫陽花、秋にはかるたの絵柄のような美しい紅葉を見ることができるので、ぜひ一度足をお運びください。
アクセス
名称 | 葉室公園 |
所在地 | 大阪府南河内郡太子町葉室1123−1 |
アクセス | 近鉄南大阪線「上ノ太子」駅から金剛バス「太子中央循環線」に乗り、「葉室歴史公園前」で下車 |
近鉄長野線「喜志」駅から金剛バス「太子葉室循環線」に乗り、「葉室歴史公園前」で下車 | |
地図 |
※駐車場なし