太子タウンでは、毎週筒井完次さんが手掛けた「切り絵でめぐる太子町」を「あ」から順にご紹介しています。
先週は、「ほ:北海道で米作り 中山久蔵(なかやまきゅうぞう)」の句から、太子町の偉人中山久蔵についてお話しました。
今週は「ほ」に続き、「ま」で詠まれている「満願供養塔(まんがんくようとう)建つ仏眼寺(ぶつげんじ)跡」の俳句をご紹介します。
「ま:満願供養塔(まんがんくようとう)建つ仏眼寺(ぶつげんじ)跡」
「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」の「ま」の読み札は「ま:満願供養塔(まんがんくようとう)建つ仏眼寺(ぶつげんじ)跡」です。
絵札には、葉室小宮(はむろこみや)と呼ばれる小さな社の横にある「佛眼上人之遺蹟」の碑が描かれています。
そして筒井さんによる解説は以下の通りです。
「葉室の仏眼寺跡はかつて西国巡礼三十三 度行者の活動拠点となった寺でした。
行者は西国霊場を歩いて33回巡り満願のあかつきには村をあげて供養会が催され、
立派な宝筐印塔(ほうきょういんとう)が建てられました。
平安時代に寺を開いた仏眼上人は初めて 西国巡礼をした花山(かざん)法皇を案内した人です。」
仏眼寺とは?
仏眼寺は、平安時代中期を生きた花山法皇(968−1008年)が、仏眼上人のために建立したお寺です。
現在は廃寺であり、葉室の小宮さんと呼ばれる祠があるのみとなっています。
仏眼上人とは?
仏眼上人とは、花山法皇を導いて、最古の西国三十三所観音巡礼を行った人物です。
聖徳太子廟(叡福寺)に参詣した勅使が出会い、花山法皇に引き合わせたとされています。
仏眼上人は熊野権現の化身ともされており、江戸時代に西国巡礼が盛んになると佛眼寺は「西国巡礼元祖古蹟」として多くの人が参拝に訪れました。
葉室小宮とは?
室村の庄屋だった池田家の第十六代当主清左衛門が、伊勢神宮に三十三度参拝したことを記念して祀った祠です。
その後、村に寄贈され、「小宮さん」と地域の方々に親しまれています。
アクセス
名称 | 仏眼寺 |
所在地 | 〒583-0994 大阪府南河内郡太子町葉室1084 |
アクセス | 葉室集会所すぐそば |
地図 |