大阪府太子町の植木家墳墓(うえきけふんぼ)は、蘇我馬子(そがのうまこ)のお墓だという伝説があります。

今日はこの植木家墳墓についてご紹介します!

植木家墳墓とは?

聖徳太子のお墓がある叡福寺から徒歩5分ほど、住宅街のなかに植木家墳墓があります。

苔むした多宝塔は凝灰石で作られており、西方院にある多宝塔を彷彿とさせる形状です。

いつ、誰が、なんのために立てた多宝塔なのかは、実はわかっていません

石碑の横には樹齢300年以上の椿も蕾をつけており、その歴史の深さを感じますね。

石碑には「蘇我馬子の塚」と記されている

植木家墳墓の石碑には、修復の記録としてこのような文が刻まれています。

『この墳は古くから土地の人々によって蘇我馬子の塚と言い伝えられております。
しかし「建久四年古図」(西暦1193年)には妹子大臣塚(小野妹子)と記されており、真実は定かではありませんが、蘇我氏一族ゆかりの地に霊を祀る遺跡と思われます。
間口5.4メートル、奥行6.5メートルの中央にある椿の木は、樹齢350年とも言われ御神木であります。
又、多層塔は高さ1.9メートルで凝灰石を六石積んで構成されておりますが、風化著しく、この度修復いたしました。

平成17年6月吉日
植木 要』

植木家墳墓は誰のお墓なのか?

石碑によると、一説には蘇我馬子の墓であるとともに、小野妹子の墓という記録も残っているそうです。

近くに聖徳太子のお墓(叡福寺があり、西方院は蘇我馬子や小野妹子の娘たちが創立者であることを考えると、飛鳥時代にゆかりのある人物の多宝塔である可能性は高そうですね。

ただ現在、蘇我馬子の墓として有力視されているのは奈良県明日香村の「石舞台古墳」であり、小野妹子の墓も太子町の科長神社(しながじんじゃ)の近くの古墳であるとされています。

【太子町山田】小野妹子の墓に行ってみた

植木家墳墓にいってみよう

もし叡福寺や西方院に立ち寄ることがあれば、歩いてすぐの植木家墳墓にもぜひ足を伸ばしてみてくださいね。

多宝塔は住宅街の中にひっそりとたたずんでいます。

「誰が、なんのために、だれを想って建立したのか」など、正確なことが何もわかっていないからこそ、飛鳥時代に思いを馳せてみるのもロマンチックですよ。

アクセス

名称 植木家墳墓(伝 蘇我馬子の塚)
所在地 〒583-0995 大阪府南河内郡太子町太子
アクセス 西方院より東に徒歩1分
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