シリーズ「かるたでめぐる太子町」では、筒井完次さんの「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」を解説します。
太子町の歴史や史跡を紐解くこのコーナー、先週は「あ:阿弥陀如来(あみだにょらい)まつるよ 隔夜堂(かくやどう)」をご紹介しました。
本日は「あ」に続き、「い」のかるたである「西方院」の句を解説します。
「い:銀杏(いちょう)が色づく 西方院(さいほういん)」
「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」の「い」の読み札は、「銀杏(いちょう)が色づく 西方院(さいほういん)」です。
取札に描かれているのは、寺院を出て左に曲がった場所から見える朱が美しい西方院です。
そして塀を隔てた路面には色鮮やかな和服を身にまとった女性の姿も、色染めにて華やかに表現されています。
説明書きは、「太子字向小路にある。浄土宗知恩院末で、本尊は聖徳太子作の阿弥陀如来立像。聖徳太子の乳母であった月益(つきます)、日益(ひます)、玉照姫(たまてるひめ)が太子薨去後に冥福を祈り創建したと伝える。現在の境内は江戸時代初期に蓮誉寿正尼(れんよじゅしょうに)が中興した。南の三基の凝灰岩製層塔は創建三姫の墓所である」 と書かれています。
西方院とは
西方院は、大阪府南河内郡太子町にある浄土宗の寺院です。
伝承によれば、聖徳太子の死後に乳母の三人が剃髪して仏門に入り、墓前にお堂を建立して太子の冥福を祈ったのが寺の始まりといわれ、西方院の南にある墓地内には、太子の乳母であった蘇我馬子、小野妹子、物部守屋の娘の御廟(ごびょう)と伝えられる3基の石塔が残されています。
その他、西方院の所蔵宝物として、伝聖徳太子作である阿弥陀如来像や十一面観音菩薩像、三尼公尊像など数多くの宝が祀られています。
2022年には西方院開基1400年を迎え、昨年11月に西方院にて「結縁祭」が開催されました。
アクセス
名称 | 西方院 |
所在地 | 〒583-0995 大阪府南河内郡太子町太子1663 |
アクセス | 電車の場合、上之太子(南大阪線)または喜志(長野線)で降り、路線バスで「太子前」下車。 お車の場合は羽曳野東か太子インターから約5分。 |
地図 |