親鸞上人腰掛石(しんらんしょうにんこしかけいし)

太子町山田にある仏陀寺(ぶっだじ)敷地の中に、石の椅子のようなものがあるのにお気づきでしょうか。

これは「親鸞上人腰掛石(しんらんしょうにんこしかけいし)」と呼ばれています。

【太子のヒト 11人目】秦秀和(はたひでかず)さん 「仏陀寺(ぶっだじ)・住職」インタビュー

親鸞上人と仏陀寺

浄土真宗の開祖である親鸞上人は、聖徳太子のことを「和国(日本)の教主」と呼び、とても崇めていたと伝えられます。

そのため、叡福寺にある聖徳太子御廟には1191年と1202年の2度、参籠(さんろう)されていたのだそうです。

さん‐ろう【参籠】

祈願のため、神社や寺院などに、ある期間こもること。おこもり。

goo辞書より

【太子町太子】聖徳太子が眠る場所、叡福寺に行ってみた

参籠の際に、秦河勝(はたのかわかつ)の子孫である盛光(じょうこう)の招きにより現在の仏陀寺がある場所へ立ち寄られました。

盛光が招いた理由は、親鸞上人の法話を聞かせていただくためだったといわれています。

法話を聞いた盛光は親鸞上人の弟子となり、住んでいた家を仏陀寺にしたのだそうです。

仏陀寺にある安置されているご本尊は、親鸞上人が彫ったものとされています。

親鸞上人が立ち寄った際に休憩した石が「親鸞上人腰掛石」として現在も仏陀寺の敷地内北西の方向にあります。

親鸞上人が立ち寄り、盛光が仏陀寺を建立するまでの逸話は、仏陀寺に残っている「河陽盛光山佛陀寺縁起(かようじょうこうざんぶっだじえんぎ)」と題された木版に記されています。

アクセス

名称 仏陀寺
所在地 大阪府南河内郡太子町山田2900
アクセス 近鉄南大阪線「上ノ太子駅」から金剛バス太子中央循環線に乗り「推古天皇陵前」で下車、徒歩10分
電話番号 0721-98-0267
地図

※駐車場あり