皆さんはお正月にかるたや、すごろくをしましたか?
大阪府太子町には、地域の郷土史かるたがあるんですよ!
太子町の歴史に詳しい筒井さんが手掛けた「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」は、道の駅で好評発売中です!
太子タウンでは、昨年度から数ヶ月に渡ってかるたの絵柄や詠まれている句について解説しています。
前回は、「む」の句から「大津皇子と二上山にあるお墓」についてご紹介しました。
本日は、「む」に続き、「め」で詠まれている句をご紹介します。
「め:珍しい双方墳(そうほうふん)は 二子塚(ふたこづか)」
「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」の「め」の読み札は、「め:珍しい双方墳(そうほうふん)は 二子塚(ふたこづか)」です。
絵札には、小高い丘の上に二子塚の墳丘全景が見えます。
二子塚という名の通り、左手に西墳丘、右手に東墳丘があります。
そして筒井さんによる解説は以下の通りです。
「山田の二子塚古墳は全長69メートルの双方墳です。全国的にも珍しく国の史跡に指定されて います。
東西の墳丘には同形同大の石室と珍しいかまぼこ型の石棺があります。 7世紀後半頃の築造と考えられます」
山田の二子塚古墳
二子塚古墳は、大阪府南河内郡太子町山田にある古墳です。
古墳の形は、双方墳(そうほうふん)と呼ばれ、例えるなら、長方形の古墳の上にさらに正方形の石棺が2つ乗っているという形状をしています。
磯長谷古墳群を構成する古墳の1つで、7世紀の前半に造られたといわれています。
全国的にも珍しい双方墳であることから、昭和31年11月28日に国史跡に認定されました。
しかしながら、この古墳の被葬者は誰なのかはまだ分かっていません。
大正4年に石室と石棺を発見したときには、すでに盗掘済みの状態でした。全長が約60メートルもある巨大な古墳なので、ここには位の高い人物が眠っていたことが推測されます。
二子塚古墳は、観光ボランティア「太子・街人の会(がいどのかい)」を申し込むと、太子町の歴史に詳しいスタッフの方が引率してくれ、古墳の見学が可能です!
詳しいツアー申込方法は下記の記事からご覧ください。