かるたでめぐる太子町「む:謀反(むほん)は無実 大津皇子(おおつのみこ)」

太子タウンでは、毎週筒井完次さんが手掛けたかるた「切り絵でめぐる太子町」を「あ」から順にご紹介しています。

「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」が発売されました

先週は、「み:妙見寺(みょうけんじ)跡に眠る 紀吉継(きのよしつぐ)」から、蘇我馬子創建の寺伝がある「妙見寺」について解説しました。

今週は「み」に続き、「む」で詠まれている大津皇子の墓にまつわる俳句をご紹介します。

「む:謀反(むほん)は無実 大津皇子(おおつのみこ)」

「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」の「む」の読み札、「む:謀反(むほん)は無実 大津皇子(おおつのみこ)」です。

絵札には、二上山の雄岳山頂近くにある大津皇子の墓が描かれています。宮内庁によって管理され、綺麗に整備されていることが分かります。

そして筒井さんによる解説は以下の通りです。

「二上山の雄岳山頂には無実の罪で処刑された大津皇子墓があります。

皇子は天武天皇の子でその崩御に際し兄弟である草壁皇子の暗殺を企てたとして捕らわれました。

墓は姉の大伯皇女(おおくのひめみこ) の万葉歌「うつそみの人なる吾や明日よりは二上山を弟世とわが見む」を根拠に定められました」

大津皇子と二上山にあるお墓

大津皇子は、日本の飛鳥時代の皇族で、天武天皇の第三皇子として知られています。

天武天皇が崩御した後、皇位継承を巡る争いが激化しました。

一説によると、大津皇子は兄である草壁皇子の暗殺を計画したとされていますが、これは後の政治的な策略によるものだとも考えられています。

結果として、大津皇子は謀反の罪で裁かれ、無実の罪で処刑されました。

彼の墓は二上山にあり、姉である大伯皇女の万葉歌「うつそみの人なる吾や明日よりは二上山を弟世とわが見む」に基づいてその場所が定められたとされています。

この歌は、大津皇子の悲劇的な運命と彼への哀悼の念を表していると解釈ができますね。

大津皇子の物語は多くの歴史家や文学愛好家によって研究されています。

「切り絵でめぐる太子町」の「ふ」の句でも、奈良時代の皇族「大伯皇女(大来皇女)」が詠んだ大津皇子の句を紹介しているので合わせてお読みください。

かるたでめぐる太子町「ふ:二上山(ふたかみやま)は 我がふる里」