シリーズ「かるたでめぐる太子町」では、筒井完次さんの「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」を解説しています。
太子町の歴史や史跡を紐解くこのコーナー、先週は「お:小野妹子(おののいもこ)は遣隋使(けんずいし)」をご紹介しました。
本日は「お」に続き、「か」のかるたである「春日神社」の句を解説します。
「か:春日仏師(かすがぶっし)が建立(こんりゅう) 春日神社(かすがじんじゃ)」
「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」の「か」の読み札は、「か:春日仏師(かすがぶっし)が建立(こんりゅう) 春日神社(かすがじんじゃ)」です。
絵札には、春日神社の本殿、拝殿、参道に加えて、その奥に二上山が一直線に見える角度を切り絵にて美しく描写しています。
かるたの説明書きには、春日神社の建立について以下のように解説されています。
「春日神社の字北堂は春日仏師と呼ばれた稽文会(けいもんえ)と稽主勲(けいしゅくん)の邸宅跡と伝えられる。両者は奈良時代に長谷寺の十一面観音像を造立した仏師と伝えられる。」
春日神社とは
春日神社とは「春日神」を祭神とする神社のことで、日本全国におよそ1,000社以上存在します。
南河内には富田林や河内長野にもいくつかの「春日神社」がありますが、切り絵に描かれている太子町の「春日神社」は、地名にも「春日」がついていることが特徴です。
太子町の春日神社は、稽文会(けいもんえ)と稽主勲(けいしゅくん)と呼ばれた伝説の仏師がこの地に留まり、社を建てたのがはじまりと伝えられています。
仏師とは仏を作る職人のことで、この二人は春日神社の他にも、葛井寺にある「国宝十一面千手観音」や大和長谷寺にある「十一面観音菩薩像」を造立したといわれています。
春日仏師の伝承
春日仏師の家は太子町春日北堂にある新池の西向にあったとされ、各地の寺院より依頼が耐えない仏職人でした。
仕事熱心な仏師を村人が心配して声をかけますが、手も体も休めることなく一心に仏を彫っていたそうです。
やがて年老いた仏師は仏ではなく一体の大きな鶴を彫ります。
鶴を彫り終えた仏師の様子を見に行った村人は、台座に足跡だけを残していなくなった鶴と姿を消した仏師を目の当たりにしたそうです。
仏師の身を案じて集まった村人たちがふと空を見上げると、朝焼けの東の空に朝に何やら背中に人を乗せた大きな鶴が飛んでいくのを見たという記録が伝承として残っています。
仏に身も心も尽くしたとされる春日仏師が手掛けた春日神社は、今日も住宅街を少し登った小高い場所に鎮座し、私達を見守ってくれているように感じます。
春日神社へのアクセス
名称 | 春日神社 |
所在地 | 〒583-0991 大阪府南河内郡太子町春日1642 |
アクセス | 近鉄線「上ノ太子駅 」から徒歩17分 または 「春日口バス停 」から徒歩4分 |
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