夏になると、少しひんやりするお話が好まれますね。
創建から歴史が長い叡福寺(えいふくじ)には、聖徳太子にまつわる七不思議が伝えられています。
この七不思議ですが、話の内容は出典により少しずつ異なり、話の数も時代によって違っています。
はじめ江戸時代の観光案内書「河内名所図会」によると御墓山の三不思議(以降の②③④)だったのですが、いつの間にか増え、今では叡福寺の七不思議となっています。
今回ご紹介する七不思議は、叡福寺が所蔵している「叡福寺応永年中旧記」からの出典が主となっています。
叡福寺の七不思議 その①
聖徳太子御廟の周囲を囲む結界石は弘法大師が1晩で建てたという伝説が残っています。その石は何度数えても数が違ってしまうそうです。
叡福寺の七不思議 その②
聖徳太子御廟には松の木が生えないのだそうです。
叡福寺の七不思議 その③
聖徳太子御廟には、竹や笹が生えず、鳥も住みつかないとも言われています。
叡福寺の七不思議 その④
大雨が降っても聖徳太子御廟の廟窟には水が流れず、土も全く崩れないそうです。
叡福寺の七不思議 その⑤
622年に亡くなった聖徳太子は「自分の死後430余年経つと記文が出現する」と予言していました。
1054年に聖徳太子御廟前に石塔を建てようとしたところ、その地から予言のとおり「太子御記文(碼碯石記文)」が発見されています。
この記文は、叡福寺の宝蔵で見ることができます。
叡福寺の七不思議 その⑥
聖徳太子の母親である穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の葬儀の際、聖徳太子は自ら棺を担いで御廟にやってきました。
棺を担ぐのに使用した楠木の棒を御廟の前に挿し「自分の説く大乗の法が広がり、いつまでもその教えが大衆を救済することができるのであれば、この木は根付いて生い茂る」と言ったそうです。
その楠木は芽吹き、根付きました。この楠木を「大乗木」と呼びます。
仏陀寺に伝わる親鸞が彫ったとされる阿弥陀如来像も、この大乗木から作られたと伝えられています。
叡福寺の七不思議 その⑦
994年に法隆寺の三網 康仁大徳が、棺の状態を確認するために聖徳太子御廟の中に入ったところ、亡くなってから何百年も経っているのにご遺体は生きているように柔らかく、良い香りがしていたそうです。
叡福寺の七不思議まとめ
叡福寺の聖徳太子にまつわる七不思議は、どれも不思議なものばかりでしたね。
生前の功績だけでなく、このような不思議な話が多くの文書に記されていることからも、聖徳太子がいかに人々にとって身近で愛される存在だったかが感じられます。
叡福寺に立ち寄られる際は、ぜひこの七不思議を思い返しながら境内を散策してみてください。
アクセス
名称 | 叡福寺(えいふくじ) |
住所 | 〒583-0995 大阪府南河内郡太子町太子2146 |
TEL | 0721-98-0019 |
アクセス | 近鉄南大阪線「上ノ太子駅」より金剛バスに乗り換え「聖徳太子御廟前」で下車 |
地図 |
※駐車場あり