用明天皇陵へ行ってみた

大阪府太子町には、聖徳太子のお父さんである用明(ようめい)天皇の眠るお墓があります。

用明天皇陵は3段になった大型の墳墓で、東西に65m、南北に60m、高さは10mほどの方墳です。

太子町は古墳群が多いことで有名ですが、特に用明天皇陵は聖徳太子の墓、敏達(びだつ)天皇陵、孝徳(こうとく))天皇陵推古(すいこ)天皇陵の五つの皇陵が梅の花のような形に配置されていることから、「梅鉢御陵(うめばちごりょう)」という名前で知られています。

住宅地の中でそこだけ時間が止まったような、木々の生い茂る神秘的な場所です。

【太子町太子】聖徳太子が眠る場所、叡福寺に行ってみた

【太子町太子】敏達(びたつ)天皇陵に行ってきた

【太子町太子】敏達(びたつ)天皇陵に行ってきた

用明天皇陵

用明天皇陵の古墳名は「春日向山古墳(かすがむかいやまこふん)」で、別名「河内磯長原陵(こうちのしながのはらのみささぎ)」とも呼ばれています。

実はこの古墳は宮内庁によって用明天皇のお墓に定められて入るものの、実際は誰が葬られているのかはっきりわかっていません。

日本書紀によると、用明天皇が崩御されたのちにまず「磐余池上陵(いわれのいけのへのみささぎ)」に葬られましたが、その数年後に太子町の「河内磯長原陵」に改めて葬られたと記録されています。

用明天皇陵の周りには幅7mほどの空濠がつくられていたとされ、外周まで含めると100m近いとても大きな古墳であることがわかっています。

実際に訪れてみると大きな丘のようになっており、生い茂る木々に時間の流れを感じます。

用明天皇

用明天皇は日本の第31代天皇で、敏達天皇の崩御後の585年に即位されました。

厩戸皇子(うまやどのおうじ)である聖徳太子の父として有名です。

在位中は有力豪族の物部守屋蘇我馬子が対立している波乱の時代でしたが、そのなかではじめて天皇として仏教に帰依し、その繁栄に力を注いできました。

しかし病気のため、587年の4月に48歳で崩御されました。

即位から2年余りと短い在位ではありましたが、それを引き継いだ息子の聖徳太子が仏教進行をすすめるとともに、日本の基礎を作っていったと思うと感慨深いですね。

アクセス

名称 春日向山古墳(用明天皇河内磯長陵)
所在地 〒583-0991 大阪府南河内郡太子町春日
アクセス 近鉄南大阪線「上ノ太子」駅から金剛バス太子線に乗り、「用明天皇陵前」で下車
または太子町コミュニティバスの福祉センター役場線にのり「用明天皇陵前」で下車
地図

※お手洗い、駐車場なし