シリーズ「かるたでめぐる太子町」では、筒井完次さんの「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」を解説しています。
太子町の歴史や史跡を紐解くこのコーナー、前回は「さ:最古の官道(かんどう) 竹内街道(たけのうちかいどう)」の句をご紹介しました。
本日は「さ」に続き、「し」で詠まれている「聖徳太子御廟(しょうとくたいしごびょう)」の句について解説します。
かるたでめぐる太子町「し:聖徳太子は まちの宝」
「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」の「し」の読み札は、「し:聖徳太子は まちの宝」です。
絵札には、聖徳太子御廟と木の標示板、そしてその後ろに広がる原生林が描かれています。
そして、かるたの説明書きには以下のように解説されています。
「太子町には町名の由来となった聖徳太子御廟がある。誰もが知る聖徳太子は数々の偉業を成し遂げこの地に葬られた。太子を敬い古代から現在に至ってもなお多くの人々がこの御廟を訪れる。」
聖徳太子御廟(しょうとくたいしごびょう)
御廟(ごびょう)とは、先祖の霊や貴人をまつっている殿堂のことで、「霊廟(れいびょう)」とも呼ばれます。
大阪府太子町にある叡福寺には、日本最古の偉人である聖徳太子が眠っている御廟があり、現在も太子にまつわる伝統と伝承を受け継いでいます。
この聖徳太子御廟には普段鍵がかかっており、直接参拝することはできません。
というのも、御廟は宮内庁の管理化におかれ一般の参列者や叡福寺の関係者でさえも立ち入ることができないからです。
しかし、年に一度だけこの門が開く時があります。それは、聖徳太子の命日に開催される「大乗会式(だいじょうえしき)の儀式の最中で、宮内庁職員が施錠を解き、聖徳太子御廟の門が開きます。
開かれた門や、聖徳太子御廟前にて叡福寺住職が各真言を唱えている様子はこちらからご覧頂けます。
宮内庁が過去に実施した調査によると、聖徳太子の御廟所は直径50メートル、高さ7メートル程の円形古墳で、この中には聖徳太子の他、母親にあたる穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)と、妻の膳部臣菩岐々美郎女(かしわでのおみほききみのいらつめ)が埋葬されているといわれています。
また、聖徳太子が眠る叡福寺には太子にまつわる7つの不思議が伝えられています。
聖徳太子御廟を訪れる際には下記の記事を読んでから参拝すると、ワクワクすること間違いなしですよ。
アクセス
開催場所 | 叡福寺 |
所在地 | 大阪府南河内郡太子町太子2146 |
アクセス | 近鉄南大阪線「上ノ太子」駅から金剛バス太子中央循環線に乗り、「聖徳太子御廟前」で下車 |
または近鉄長野線「喜志」駅から金剛バス太子葉室循環線に乗り、「聖徳太子御廟前」で下車 | |
地図 |
※お手洗い・駐車場あり
かるたの制作者、筒井完次さんのインタビューはこちらから!