本日は、先月に引き続き、つっついっちさん寄稿をお届けします。
さて、前回は、「古い日本家屋について(屋外編)」をテーマにお届けしました。
上記の記事では、典型的な古い日本家屋や、大和棟の特徴についてつっついっちさんが詳しく写真つきで解説してくださっています。
本日は、つっついっちさんのご自宅である「筒井邸」から、日本家屋の室内を特別に解説してくださいます。
それでは、さっそく日本家屋(室内編)を見ていきましょう。
瓦葺き屋根
日本家屋(室内編)の前に、少し瓦葺き屋根についておさらいしましょう。
上記の写真は、藁葺き屋根脇の瓦葺き屋根です。
30年ほど前まで、現役の藁葺き屋根だったようです。
筒井家の 3年ほど前の屋根工事です。
庭側からの様子です。急勾配の為大変な様子です。
台風のあと、落屋根にあった煙出しが壊滅的な打撃をうけ、同時に屋根が一部破損。
それの修復工事をし、煙出しのところは閉じてられました。
下の写真は、逆の急勾配は瓦葺きもずれて雨漏りがひどくなっていたので、工事をしました。3年ほどまえです。
約20年近く前の姿の筒井邸母屋西側
現在はトタンで覆われた母屋西側です。
約20年近く前の姿です。
この映像の数年前に、台風が、竹之内街道を横ぎり、奈良を通過し、被害が出たことがあります。
漆喰が一面に塗られてましたが、剥がれました。
屋根裏の空気穴でしょうか?見えにくいですが、剣カタバミの筒井家の紋が入っています。
この時、屋根瓦の崩落がかなり見られていて、のちの雨漏りにつながりました。
この合掌造りのような傾斜のキツい屋根の下は、板敷になり畳のある住空間になります。大和棟でよくある四間造りになってます。
土間①、玄関側です。母屋の座敷から向かい側にある格子戸が、シモミセです。
左側が玄関です。右側が、続いて土間②、昔でいう厨になります。
左側の玄関から入ると頭上に大きな穴があるのがわかります。
この部分から登り、上に藁など保管したようです。
煙出しの小屋根部分も、以前はわかりましたが、現在は閉じています。
この部分は、落棟になり、緩やかな傾斜の瓦葺きの屋根部分です。
穴の部分から見てもらえばわかりますが、緩やかな屋根といえど、相当高いです。
天井部分は、厨部分の天井になります。
玄関側と繋がる屋根部分になります。
この部分は、現在台所の天井板が張られため、直接見ることはできません。
現在の筒井邸母屋
上がり間口のところも、格子が奥と玄関のところに入り、別に入ることができます。
土間①②のところにある戸口は、新しいものです。
大和棟の典型的な四間取りです。
まず一番玄関の通りに面した座敷です。
襖を外すとひとつながりになる奥の仏間から下の座敷をむている映像です。
次は、街道からの映像ですが、下の座敷の奥の居間が見えます。
その次は、土間からの映像で、下の座敷の奥に仏間がみえます。
下の座敷にある、お稲荷さんと、居間にある神棚と供え棚です。台所は荒神さんが祀られていました。
急勾配の屋根の下は、このように畳のある四間取りになっています。
玄関側に繋がる二室は、仏間とつながる二間で、家族親戚が集まれるように、襖を外したら、大広間になります。
それに比べて奥側2間は、どちらかといえば、プライベートで過ごす部屋になっています。
河内地区の大和棟の特徴
河内地区の大和棟の特徴として、外壁の白壁には、持ち送りの水切り庇がついています。
この様式は、すでに急勾配の屋根がなくなった家にもうけつがれています。
茅葺屋根の急勾配と、落棟のコントラストは、日本で最も美しい対照構成美の民家と評価されてます。
日本の伝統家屋全般にいえますが、人生におけるハレの場面、ケの場面全てを引き受けて家屋は、存在しています。
おわりに
筒井邸は、典型的な大和棟です。
築年数は、おおよそ200年。地区の古老から聞いた話では、大道地区でも現存する家屋としては、最も古い中に入るそうです。
仏間と神棚と、全ての信仰が家の中にあり、守られて人々は暮らしてきたという歴史を感じることができます。
そのことを振り返り、大切にしていけたらと思います。
筒井邸は、不定期に軒下ギャラリーと称して、季節の写真や絵画、郷土玩具などを展示しています。
建物自身も見ることができます。