大阪府太子町の山田には仏陀寺(ぶっだじ)という浄土真宗本願寺派のお寺があります。

創建年は不明ですが、浄土真宗の宗祖とされている親鸞聖人が仏陀寺を訪れたという記録が残っているため、鎌倉時代以前にはあったことが分かります。ただし、江戸時代後期に火事に遭い、寺の歴史に関する資料のほとんどが失われてしまっています。

大火によって焼失した仏陀寺は寛政8年(1796年)、当時の世話首(せわがしら)を務めていた矢野伝右衛門(やのでんうえもん)らが中心となり、現在の本堂などが再建されています。

矢野伝右衛門は大地主で、仏陀寺の境内には現在でも大きな矢野家の墓地があります。

また、同じく境内には、蘇我馬子の孫である蘇我倉山田石川麻呂の墓と伝えられている「仏陀寺古墳」も存在しています。

仏陀寺の歴史

仏陀寺は浄土真宗本願寺派(本山は京都の西本願寺)の末寺で、飛鳥時代の渡来系豪族・秦河勝(はたのかわかつ)によって創建されたと伝えられています。つまり、1300年以上の歴史があることになります。

また、浄土真宗の開祖である親鸞叡福寺を参拝した際には仏陀寺にも立ち寄っており、住職の秦盛光(はたのじょうこう)を弟子としたとも伝えられています。

親鸞が腰かけたとされる「親鸞の腰掛石」も、仏陀寺の境内に残されています。

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仏陀寺の本尊「阿弥陀如来像

仏陀寺の御本尊は、立ったお姿の阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)です。

この阿弥陀如来像の作者もまた親鸞であると伝えらえており、聖徳太子御廟にある大乗木の楠を使用し、自ら彫ったものだそうです。手のひらサイズの小さな阿弥陀如来像です。

仏陀寺は小さなお寺ですが、親鸞が訪れたかもしれないという大きな歴史のロマンが溢れています。

御本尊の前の欄間には、一般的に極楽浄土を表した彫刻が施されていることが多いのですが、仏陀寺の欄間は二十四孝(にじゅうしこう)」を題材とした非常に珍しい彫刻です。

「二十四孝」とは、親孝行をした24人の物語が書かれている中国の書物のことを指しています。

毎月18日に秦盛光の名を冠した盛光会(じょうこうかい)という法座が仏陀寺住職によって開かれており、お経の解説などをしています。

是非、皆さんも歴史の趣きを感じ、学びを深めに訪れて下さい。

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アクセス

名称 仏陀寺
所在地 大阪府南河内郡太子町山田2900
アクセス 近鉄南大阪線「上ノ太子駅」から金剛バス太子中央循環線に乗り「推古天皇陵前」で下車、徒歩10分
電話番号 0721-98-0267
地図

※駐車場あり