太子タウンでは、毎週筒井完次さんが手掛けた「切り絵でめぐる太子町」を「あ」から順にご紹介しています。
先週は、「ま:満願供養塔(まんがんくようとう)建つ仏眼寺(ぶつげんじ)跡」の句から、仏眼上人のために建立したお寺「仏眼寺」についてご紹介しました。
今週は「ま」に続き、「み」で詠まれている「み:妙見寺(みょうけんじ)跡に眠る 紀吉継(きのよしつぐ)」の俳句をご紹介します。
「み:妙見寺(みょうけんじ)跡に眠る 紀吉継(きのよしつぐ)」
「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」の「み」の読み札は「み:妙見寺(みょうけんじ)跡に眠る 紀吉継(きのよしつぐ)」です。
絵札には、石段を上がった先に見える妙見寺の鳥居が描かれています。
そして筒井さんによる解説は以下の通りです。
「春日の妙見寺には国の重要文化財となっている紀吉継の墓誌があります。
墓誌は火葬墓に伴う奈良時代のもので大 変貴重なものです。
妙見寺はかつて東方の天白山上にあり、 その付近には瓦が出土する古代寺院跡や墓 誌の出土地である茶臼山があります」
妙見寺と紀吉継(きのよしつぐ)
太子町の竹内街道沿いには、【蘇我馬子創建 曹洞宗 妙見寺(みょうけんじ)】という白い看板があり、その奥にお寺があります。
このお寺は、観光霊場「石川三十三ヶ所観音霊場」の第8番札所としても有名で、蘇我馬子創建の寺伝がある由緒正しきお寺です。
今から遠い昔の飛鳥時代に創建された妙見寺は、当初大阪府太子町はなく天白山(てんぱくざん)のふもとにあったようです。
天白山では観光霊場として賑わいをみせていましたが、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)となり、明治14年に太子町に再興しました。
この妙見寺跡から、「紀吉継墓誌(きのよしつぐぼし)」が出土し、明治42年に国の重要文化財に指定されています。
墓誌には、埋葬された人物名や埋葬日などが彫られていますが、実は日本ではまだ18例しか見つかっていないため大変貴重なものです。
妙見寺から発見された「紀吉継墓誌」は現在、大阪市立美術館に保管されていますよ。