太子タウンでは、毎週筒井完次さんが手掛けた「切り絵でめぐる太子町」を「あ」から順にご紹介しています。
先週は、「は:初日の出 皆で拝もう 初登り」のかるたに描かれている二上山の初日の出についてお届けしました。
今週は「は」に続き、「ひ」で詠まれている「豊臣秀頼によって再建された叡福寺聖霊殿」ついて解説します。
「ひ:秀頼が再建 叡福寺」
「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」の「ひ」の読み札は「ひ:秀頼が再建 叡福寺」です。
絵札には、府指定文化財に指定されている「金堂」と、聖徳太子御廟に繋がる石階段が描かれています。
そして解説は以下の通りです。
「叡福寺は聖徳太子の追福を願って推古天皇が建立を発願しました。奈良時代には聖武天皇が伽藍(がらん)を大きくしたとも伝えられます。織田信長の時代に戦火で失われますが、豊臣秀頼によって再建がはじめられ現在の姿に復興を遂げました。聖徳太子像を祀る精霊電殿や珍しい多宝塔は国の重要文化財となっています。」
豊臣秀頼によって再建された叡福寺「聖霊殿」
大阪府太子町にある「叡福寺」は、推古天皇が聖徳太子のお墓を守護するために建立した寺院です。
しかし天正2年にあたる1574年、織田信長の兵火により被害を受け、全焼してしましました。
その後、後陽成天皇の勅願により豊臣秀頼が伽藍を復興し、慶長8年の1603年に叡福寺の聖霊殿が再建されました。
叡福寺の聖霊殿は、秀吉が建立した叡福寺の中でも信仰心を込めて造った特別な場所であるといわれ、毎年多くの観光客や信者が4月におこなわれる「大乗会式(だいじょうえしき)」に訪れます。
「令和5年度 叡福寺(えいふくじ)大乗会式(だいじょうえしき)」の記事では今年開催された式典をご覧頂けます。
秀頼の信仰心を感じることができるこの場所で静かに思いをはせてみるのはどうでしょうか。