葉室公園へ行ってきた

葉室(はむろ)公園へ行ってきました!

葉室公園は大阪府太子町と河南町の境にある、古墳を見ることのできる歴史公園です。

もともと葉室公園のある太子町には史跡がたくさん残されており、それらの古墳はまとめて「磯長谷古墳群(しながたにこふんぐん)」と呼ばれていました。

そしてその磯長谷古墳群のなかでも、特に古墳が集中している場所が葉室公園のある「葉室古墳群」です。

太子町でも特に古墳の多い場所に、葉室公園は作られたのですね。

葉室公園

葉室公園は近つ飛鳥風土記の丘のすぐ北側にある、見晴らしのいい公園です。

葉室公園からはところどころにこんもりとした丘や竹林をみることができ、その多くは太古の昔に作られた古墳です。

手つかずの木々が生い茂っているのを見ると、時間の流れを感じますね。

案内板が設置してあるので、歩いて回るのもよい運動になりそうです。

また公園内には滑り台や切り株の家などの遊具、お手洗いも設置されています。
お子さん連れの方も遊びに立ち寄りやすいですね

壺井勘也(つぼいかんや)氏のモニュメント

公園の中には、大阪芸術大学講師の壺井勘也氏デザインのモニュメントを見ることができます。

『二上山のふところにいだかれた太子町、古来より近飛鳥と呼ばれ、難波と飛鳥の都とを結ぶ竹之内街道に沿い、大陸の文化、情報の拠点として豊かに緑と歴史につつまれたこの地に万葉人のおおらかさをこの万(よろず)を写す鏡に託しつつ、左右に大古のいぶきと未来へのいぶきを交互に配して大顏面に謳歌し自然環境に調和したモニュメントを大阪芸術大学講師の壺井勘也氏デザインにより建立しました。』(説明文より抜粋)

顔のような、陰陽の印のような、太陽の塔のような、なんとも不思議なアート作品です。

葉室公園の古墳

葉室公園内には石塚古墳、西側に釜戸塚古墳、東側に葉室塚古墳をみることができます。

古墳には竹や芝が生い茂り、周りの景色と同化しています。
発掘調査などで大きく人の手が加わっておらず、自然のままの姿を見ることができる数少ない古墳です。

柵があるため古墳の中に入ることはできませんが、近くまで寄って見ることができます。

飛鳥時代にもこの地に人が生活していたと思うと、歴史のロマンを感じますね。

葉室塚古墳

東西75m、南北55m、高さ8mの長方形墳で、7世紀前半頃に作られたと考えられています。
とても大きく、太子町にある春日向山古墳(用明天皇陵)や山田高塚古墳(推古天皇陵)に匹敵する規模です。
どなたが埋葬されているのかは分かっていませんが、この規模から天皇や身分の高い豪族のお墓ではないかと言われています。

釜戸塚古墳

直径45m、高さ5mほどの円墳です。
こちらも葉室塚古墳と同様に、7世紀前半頃に作られたと考えられています。
太子町の叡福寺にある聖徳太子のお墓と同じくらいの規模や構造で、有力な豪族が埋葬されていたのではないかといわれています。

石塚古墳

直径30m、高さ4mの円墳です。
葉室塚古墳や釜戸塚古墳より少し古く、6世紀末~7世紀初めに作られたと考えられています。

アクセス

名称 葉室公園
所在地 大阪府南河内郡太子町葉室1123−1
アクセス 近鉄南大阪線「上ノ太子」駅から金剛バス太子中央循環線に乗り、「葉室歴史公園前」で下車
近鉄長野線「喜志」駅から金剛バス太子葉室循環線に乗り、「葉室歴史公園前」で下車
地図

※駐車場なし