【太子町山田】油屋 田中家

8月23日は「油の日」となっています。

日本初の大がかりな搾油を行い、油の専売特許を持っていた京都の離宮八幡宮が、九州から現在の大山崎町に遷宮された日なのだそうです。

太子町と油商

江戸時代の照明(灯明油)には、主に菜種油が使われていました。においが少なく明るいため人気だったのですが、高級品でした。

太子町には田中伊兵衛、伊右衛門、左五郎という油商が3人いたそうです。

3人の中の「田中伊兵衛」は太子町の山田で搾油用に大きな水車を使い、菜種油の精油業を営んでいました。

業者だった田中家は江戸時代初期より代々「田中伊兵衛」を世襲しています。そのため油屋の伊兵衛ということで「油伊(あぶらい)」と呼ばれ親しまれていました。

精油業は江戸時代中ごろまで稼働していたようです。

太子町と大阪の交易

太子町で精油された菜種油を大阪へ運ぶには、川船が利用されました。

当時は「喜志の浜」(富田林市の河南橋付近)「古市の浜」(羽曳野市の臥龍橋付近)がありそこから大阪へ向けて油が運ばれています。そうやって出荷した油で、田中家はかなりの富を築きました。田畑もかなり所有しており、大地主だったそうです。

田中家は江戸時代後期に、戦国時代から続けていた精油業をやめました。その後は御三家の紀州藩などの諸藩を対象とした金融業を開始したそうで、そこで成した財で永田の船形だんじり(昭和49年に焼失)を寄進したとのこと。

船形である理由は油を運ぶために川船を使ったことに由来しているのかもしれません。

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現存する田中家家屋

山田の永田地区に田中家の建物は現存しており、水車の用水路とその取水口、油を貯蔵するための備前焼の甕が20個並んだ油部屋が残されています。油部屋の甕の中でもっとも古いのは600年以上前のものと判明しているので、創業当時から使われていた甕が残っているのでしょう。

屋根は立派な大和棟、そして高い「卯建(うだつ)」、瓦全てに寺院建築に見られるような本瓦葺きが使われており、大きな伊勢灯篭も敷地内に建っています。その様子からも豪商であったことが一目瞭然です。

田中家はいまだ文化財とされていないため保存状態が悪く、一部の屋根が崩れているなど、当時の文化を知る上での貴重な建築物の存続が危ぶまれます。

アクセス

名称 油屋 田中家
所在地 〒583-0992 大阪府南河内郡太子町山田2779
アクセス 近鉄南大阪線「上ノ太子」駅から金剛バス太子線に乗り「山田」で下車 徒歩15分
地図

※道幅が細く、駐車場がないため現地までの車での乗り入れ、見学は困難です。徒歩をお勧めします。