シリーズ「かるたでめぐる太子町」では、筒井完次さんの「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」を解説しています。
なんとこの度、かるたでも使用されている切り絵を用いて「切り絵でめぐる太子町双六(すごろく)」が発売されました!
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さて、太子町の歴史や史跡を紐解くこのコーナー、先週は「す:推古天皇は 初の女帝」の句をご紹介しました。
本日は先週の句である「す」に続き、「せ」で詠まれている「岩屋跡(いわやあと)」の句を解説します。
かるたでめぐる太子町「せ:石窟寺院(せっくつじいん)の岩屋跡(いわやあと)」
「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」の「せ」の読み札は、「せ:石窟寺院(せっくつじいん)の岩屋跡(いわやあと)」です。
絵札には、登山道を登った先に見える石窟寺院の岩屋跡と三重層塔が描かれています。岩屋跡の切り絵からは、一般の方が立ち入らないよう柵をしている様子も伺えます。
そして、かるたの説明書きには以下のように解説されています。
「二上山腹にある奈良時代の石窟寺院跡。高さ6メートル、間口7メートルの大石窟で北壁に中尊坐像と両脇侍立像を浮彫する三尊像、石窟の中央には現存高2メートルの凝灰石の三重層塔がある。国指定史跡」
岩屋跡(いわやあと)
岩屋とは岩にできた洞穴のことで、古くは岩を横に掘り進めて住居としても活用されていました。
二上山の登山道を東へ500メートル進んだ場所には、奈良時代に作られたと推測される石窟寺院の岩屋跡地が存在します。
この岩屋跡には、大小合わせて2つの石窟が現存しており、大きいものは高さ6.1m、幅7.6m、奥行き4.5mほどの大きさです。
そして岩屋の手間には、3体の仏像があることから、ここは石窟寺院であったことが推測できます。
というのも、この岩屋に関する情報や文献など残っておらず、一体誰がどのような目的で造ったか今だに分かっていません。
「日本では珍しい石窟寺院の史跡 岩屋」の記事にて、「岩屋のはじまり」や「岩を彫り出した三尊像や石仏」について詳しく解説しています。ぜひこちらの記事も合わせて読みください。
岩屋跡へのアクセス
名称 | 岩屋(いわや) |
所在地 | 〒583-0992 大阪府南河内郡太子町山田 |
地図 |