【太子町春日】妙見寺(みょうけんじ)の歴史を知ろう

太子町の春日地区を竹内街道沿いに歩いていると「蘇我馬子創建 曹洞宗 妙見寺(みょうけんじ)と書かれた白い看板が目に付くと思います。

看板に書いてあるように、飛鳥時代の大臣(おおおみ)である蘇我馬子(そがのうまこ)が597年に創建したと言われ河内の国最初の霊場です。

現在は曹洞宗ですが、元は名前の通り「妙見信仰」のお寺でした。

妙見信仰とは

妙見信仰は元々はインドの菩薩信仰から始まっています。

インドの菩薩信仰が中国の道教と融合したのち、北極星または北斗七星が神格化されて妙見菩薩(みょうけんぼさつ)となり、仏教の守護神である「天部」として組み込まれ伝わりました。

妙見菩薩は別名北辰尊星王(ほくしんそんしょうおう)」です。

「妙見」という言葉は目の良さや見通す眼力を表していて、善悪・大切な真理がしっかり見えている者という意味があります。

妙見信仰だった頃から時代の流れで廃寺を繰り返し、真言宗を経て現在の曹洞宗になっています。

妙見寺の歴史

飛鳥時代に創建された妙見寺は、その当時現在地ではなく天白山(てんぱくざん)のふもとにあったようです。

順調に栄えて行ったのですが南北朝時代の戦で焼け落ちてしまい、廃寺となりました。

しかし江戸時代初期に天白山の斜面を切り開いた場所に再建され、1673年には現在の南河内郡を中心とした観光霊場「石川三十三ヶ所観音霊場」の第8番札所になっています。

当時の妙見寺の様子は、江戸時代の観光ガイドブック「河内名所図会(かわちめいしょずえ)」に挿絵が掲載されています。

河内名所図会妙見寺
写真:国立国会図書館ウェブサイト 河内国名所図会

 

石川三十三ヶ所観音霊場の「石川」は太子町が「石川郡」だったころものです。残念ながら、現在はすでに廃霊場となっています。

観光霊場としてにぎわっていた妙見寺に2度目の危機が「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」によって訪れます。明治6年にふたたび廃寺となってしまいました。

そこから8年後の明治14年に、現在の場所で再興したのでした。

妙見寺のご本尊

妙見寺のご本尊は「十一面観音」です。廃寺や移動がありましたが、ご本尊は江戸時代の妙見寺にはすでにあったと思われます。

1679年に発行された「河内鑑名所記(かわちかがみめいしょき)」に妙見寺本尊の寸法が記されており、それとほぼ一致するためです。

また、地元では奈良の長谷寺(はせでら)にある観音像と同じ木が使われているという伝承が残されています。

住職の畑さんによると、右手に錫杖(しゃくじょう)左手に花瓶を持ってるお姿も同じなのだそうです。

ご本尊のほかに北辰妙見大菩薩」像(妙見信仰の象徴)と妙見寺が曹洞宗に改宗した際の開祖である「輪王寺(りんのうじ)」(仙台にある菩提寺)の二十三代目住職像が安置されています。

妙見寺跡から、明治42年に国の重要文化財に指定された紀吉継墓誌(きのよしつぐぼし)」が出土しています。

墓誌は墓地に埋葬されている人物の埋葬日や本名などが彫られたレンガで、日本では18例しか見つかっていません。

「紀吉継墓誌」の現物は大阪市立美術館に保管されており、妙見寺には拓本が残されています。

アクセス

名称 妙見寺
所在地 〒583-0991 大阪府南河内郡太子町春日1624
電話番号 0721-98-0733
アクセス 近鉄南大阪線「上ノ太子駅」から金剛バスに乗り「竹内街道春日西」で下車、徒歩15分
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