【太子のヒト 1人目】吉高賢司さん

太子町で活躍する皆さんにお話を聞きに出かける太子タウンの新シリーズ「太子のひと」の第1回は、太子町社会福祉協議会にお勤めで、生活支援コーディネーターとして活躍されている吉高賢司(よしたかけんじ)さんのインタビューです。

太子町の社会福祉協議会で働かれることになった経緯や、生活支援コーディネーターとして取り組まれていること、そして太子町の皆さんへのメッセージもいただいております。

インタビュアーは、太子タウン記者の土井が担当しました。

吉高賢司さんのお仕事「生活支援コーディネーター」とは

吉高賢司さんは、太子町の生活支援コーディネーターとしてご活躍されていますね。(以下、敬称略)

吉高「生活支援コーディネーターとは、住民さんと一緒に生活支援や普段の生活の困りごとを何とかして解決していくための体制をコーディネートしていく仕事です。」

住民の皆さんひとりひとりを手助けするお仕事なんですか?

吉高「住民さんの支援をするだけではなく、住民さん同士で助け合えるような環境を作っていくのが使命です。」

吉高賢司さんが「生活支援コーディネーター」になるまでの経緯

吉高さんは、以前は病院で福祉関係のお仕事をされていたんですよね?どうして病院での勤務ではなく、生活支援コーディネーターになられたのですか?

吉高「福祉の仕事は利用者からの悩みの相談などが減っていくのが良いことであると考えています。だから、(福祉関係の業種では一般的である)相談件数が増えたから良かったという考え方がおかしいと感じていて、相談の件数を減らすためどう取り組んだかという形で自分の仕事を表現できないことが嫌であった。」

吉高さんインタビュー

相談件数を減らすことが評価されない環境が、吉高さんには合わなかったんですね。そして、病院での仕事を離れて、次は何をされましたか?

吉高「病院勤めの時に病院に来ることが出来ない方々を誰が手助けしているのかを知りたくて、(太子町とは別の)市町村にある社会福祉協議会で働きました。社協で働いて行く中で皆で助け合うようなまちづくりをしていこうという方針に共感し、社協の仕事にやりがいを見つけました。」

その後、太子町の社会福祉協議会へと移られたということですね。

吉高「(社協での仕事を離れて)その後、再び病院勤務をした期間があったのですが、やはり違和感があり、社協で働いていた時にお世話になっていた方から、太子町の社協で募集があると紹介があり、太子町で働くことになりました。

太子町のことは以前からご存じだったんですか?

吉高「働き始める前の段階では太子町のことは詳しくは知りませんでした。社協の有志が参加するボランティア活動をしていた際に、太子町の社協の方とは知り合いにはなっていたという程度です。」

吉高さんの太子町社会福祉協議会での取り組み

吉高さんが太子町の社協に来られてからの活動について、ご紹介していただけますでしょうか。

吉高「町内無線放送で「たいしくん体操」を流して、踊り方を記載したペーパーを全世帯にポスティングするなど、コロナ禍におけるアナログの対策に取り組んできた。しかし、(町内無線放送は双方向ではないため)住民さんからの声が届かないなど限界を感じました。」

広く多くの人に伝えることも大切ですが、しっかりと届いているのかが確認できないことに違和感を感じられたのですね。

吉高「2021年にはコロナ禍においても住民さんからの声が届くような双方向のコミュニケーションを目指したデジタルの対策としてスマホ講座、公式LINEの運用、リモート体操などに取り組みました。」

福祉とデジタルの融合は難しいテーマだと思いますが、実践してみた結果はいかがでしょうか?

吉高「公式LINEのお友達登録者が130人を超えるなど順調に伸びてきています。目標としては300人を目指しています。デジタルの対策も積極的に取り組んでいますが、やっぱり住民さんとダイレクトに接することが1番大切だと思っています。」

その他で太子町で取り組むべきだと感じている課題はありますか?

吉高「今後取り組んでいきたい太子町の課題としては高齢者の免許返納だと考えています。」

太子町で暮らしている皆さんへのメッセージ

最後に、なにか太子町の皆さんにメッセージをください。

吉高「一緒に楽しく頑張っていきましょう!」

吉高さん、インタビューを受けていただき、誠にありがとうございました。

インタビューを通して仕事に使命感を持って取り組んでおられる熱意が伝わってきました。最後のメッセージでも「一緒に」というフレーズに生活支援コーディネーターとして人に寄り添う吉高さんらしさを感じました。

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