太子ゆかりの地 友好都市

太子町にお住まいの皆様、太子町が友好都市を結んでいる市町村をご存知ですか?

聖徳太子を縁として太子町と2つの町との交流やイベントを毎年開催しています。

友好都市とは

友好都市とは、世界や日本国内の自治体間で「友好都市提携」を結び交流事業を行うことをいいます。

イベントや講演を開催して互いの自治体の文化交流を活発化させることが目的です。

太子ゆかりの友好都市

「太子ゆかりの友好都市」は、大阪府南河内郡太子町兵庫県太子町、奈良県斑鳩町3町で結ばれています。

この3つの町に共通することは皆さんもうご存じの通り「聖徳太子ゆかりの地」ということですよね。

平成9年に友好都市を結んでから今年で25年目を迎え、現在でもイベントを通して地域交流を深めています。

聖徳太子がご縁で提携された3つの町ですが、それぞれどのように太子に関係があるのか簡単にご紹介します。

大阪府太子町

大阪府太子町には200基以上の古墳があり、大和飛鳥時代に活躍した天皇や皇族が葬られていました。

古墳が密集しているため「王陵の谷」とも呼ばれています。

【大阪府太子町】梅鉢御陵(うめばちごりょう)

その中でも有名な「聖徳太子」は、太子町にある「叡福寺北古墳」で眠っているとされます。

飛鳥で仏教を信仰していた聖徳太子が西にある太子町の二上山に日が沈む光景を見て、西方浄土の教えに沿ってこの地に墓を作ったといわれています。

【太子町太子】聖徳太子が眠る場所、叡福寺に行ってみた

兵庫県太子町

聖徳太子が推古天皇から頂いた土地を奈良の法隆寺の寺領として寄進したことから、兵庫県太子町も太子ゆかりの土地として有名です。

町内には聖徳太子が領地確定のために訪れた場所や伝承が残っており、町の至る所に聖徳太子の面影が残っています。

奈良県斑鳩町

西暦574年に現在の奈良県明日香村で皇族として誕生した聖徳太子は605年に斑鳩宮に移り住みました。

そして2年後の607年に法隆寺を建立し、推古天皇の摂政として大活躍し薨去されるまでこの斑鳩の里に住んでいました。

太子ゆかりの友好都市がおこなっている活動

太子ゆかりの友好都市は、聖徳太子の教えである「和をもって貴しとなす」から「和の精神」をもとに、教育・文化・観光・経済の交流をして、地域社会の発展と振興に寄与するための活動をおこなっています。

太子町では過去に「兵庫県太子町レンゲ祭り」「斑鳩町歴史ウォーク」に参加し、互いの地域の連携を深め交流をしています。

太子町でも「ふれあいTAISHI」が開催され多くの人で賑わいました。

その他には、年に一度3町の中学生が集まり、バレーボール大会やスポーツイベントも実施しています。

太子ゆかりの友好都市まとめ

このように、聖徳太子をご縁とした歴史ある3つの町が連携し、様々な活動を行っています。

開催されるイベントは小さなお子様から参加でき、交流を通して歴史について学べるとは素敵ですよね。

また友好都市に関連するイベントが開催される時は、この太子タウンでもお知らせします。