シリーズ「かるたでめぐる太子町」では、筒井完次さんの「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」を解説しています。
太子町の歴史や史跡を紐解くこのコーナー、先週は「い:銀杏(いちょう)が色づく 西方院(さいほういん)」をご紹介しました。
本日は「い」に続き、「う」のかるたである「孝徳天皇陵」の句を解説します。
「う:うぐいす陵(りょう)は 孝徳(こうとく)さん」
「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」の「う」の読み札は、「う:うぐいす陵(りょう)は 孝徳(こうとく)さん」です。
取札には「孝徳天皇大坂磯長陵道」と掘られた石標柱と墳墓に行くまでの参道階段の他に、彼岸花と長袖を着た親子が描かれており秋を感じさせる一枚となっています。
説明書きには、「645年に薨去した第36代孝徳天皇の大坂磯長陵。蘇我氏の専横に対して中大兄皇子や中臣鎌足、蘇我倉山田石川麻呂らが実行した乙巳の変後に天皇に即位し大化の改新を進めた。改新の詔では、(このごろわが民の貧しき事もっぱら墓を造るによる。ここに制をのべて尊と卑しきを別たしむ)とし、薄葬をすすめた」と書かれています。
孝徳天皇陵とは
孝徳天皇陵は、大阪府太子町の竹内街道沿いに位置する陵で、「うぐいす陵」や「大坂磯長陵(おおさかしながりょう)」と呼ばれることもあります。
西暦645年に第36代の天皇に即位した孝徳天皇は、元号を「大化」に改め、改新政治を推し進めたことで有名な人物です。
在位10年目の654年に天皇は亡くなり、孝徳天皇陵に葬られたと日本書紀には記されています。
孝徳天皇が改新の中で出した「薄葬令(身分や地位に合わせて墓の規模や役員の動員数、喪葬用品を制限したもの)」に沿って、この孝徳天皇陵も小規模な古墳になったと考えられます。
実際に孝徳天皇陵を訪れた記事は、こちらからご覧ください。
アクセス
名称 | 孝徳天皇 大阪磯長陵拝礼所 |
所在地 | 大阪府南河内郡太子町山田1789 |
アクセス | 近鉄南大阪線「上ノ太子」駅から金剛バス畑平石線に乗り、「孝徳天皇陵前」で下車 |
または太子町コミュニティバス畑・山田役場線に乗り、「孝徳天皇陵前」で下車 | |
地図 |
※お手洗い、駐車場なし