大阪府太子町葉室(はむろ)に、あの天下の大泥棒石川五エ門(いしかわごえもん)に関する逸話が残っているのはご存知でしょうか。
その名も「五右衛門石(ごえもんいし)」といい、石川五エ門がここに腰掛けて休憩したという伝説があります。
近つ飛鳥博物館(ちかつあすかはくぶつかん)や仏眼寺(ぶつがんじ)からほど近い道端にひっそりと立っているため、知らなければ見落としてしまいそうなほどです。
ここでは、太子町の五右衛門石についてわかっていることをまとめています。
五右衛門石とは
五右衛門石は2つの大きな石でひとつは高さ50cmもうひとつが高さ1.3mほどです。
現在は道路になっていますが、五右衛門石のある場所にはもともと古墳があり、五右衛門石もその古墳で使用された石材の一部だったと考えられています。
この五右衛門石には、盗みに失敗して逃げ出した石川五右衛門がこの石に腰掛けて休んだという言い伝えが残っています。
失敗に腹を立てた石川五右衛門は、この五右衛門石にキセルを叩きつけたり殴ったりと大荒れだったようで、そのときの跡がこの石のへこみなんだそうです。
また、ここで石川五エ門は妻と夫婦別れをしたともいわれています。
夫婦別れとは今で言う離婚なので、縁起が悪いとして婚礼時はこの前を通るのを避けたそうです。
石川五右衛門と大阪府太子町
なぜ太子町に石川五右衛門伝説が残っているのか不思議に思うかもしれません。
一説では太子町葉室にある「塚穴古墳(つかあなこふん)」を、石川五エ門が根城にしていたともいわれています。
この塚穴古墳は五右衛門石から30mほどしか離れていないため、もし石川五エ門がここを本拠地のひとつとしていたのであれば、この五右衛門石の逸話にも信憑性が出てきますね。
太子町葉室には「葉室古墳群(はむろこふんぐん)」があることから、こういった隠れ家にしやすい場所がたくさんあったのかもしれません。
石川五エ門とは安土桃山時代に都市部を中心に盗みを働いていた盗賊団の首領です。
豊臣秀吉に捕らえられ、京都で釜茹でにされた話は「五右衛門風呂」の起源としても有名ですね。
処刑後に歌舞や戯曲の題材にされたことで一躍有名になりましたが、現代ではルパン三世に登場する13代目石川五エ門の方がよく知られているかもしれませんね。
この石川五右衛門は幼少期に伊賀へわたり忍者修行をしたとも言われています。
京都や伊賀など様々な場所に縁がある石川五エ門ならば、その中間地点である大阪府太子町を訪れていたとしても不思議ではないかもしれません。
アクセス
名称 | 五右衛門石 |
所在地 | 大阪府南河内郡太子町葉室1097 |
アクセス | 近鉄南大阪線「上ノ太子」駅から金剛バス太子中央循環線に乗り、「葉室歴史公園前」で下車 |
または近鉄長野線「喜志」駅から金剛バス太子葉室循環線に乗り、「葉室歴史公園前」で下車 | |
地図 |
※お手洗い、駐車場なし
民家の直ぐ側で看板もないため、グーグルマップで調べてからおでかけください。