シリーズ「かるたでめぐる太子町」では、筒井完次さんの「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」を解説しています。
先週は「つ:椿の下に眠る 石川麻呂(いしかわまろ)」から、蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだ の いしかわまろ)の墓をご紹介しました。
https://taishi.town/2023-08-08-10-00/
本日は「つ」に続き、「て」の句で詠まれている「河内源氏三代の墓」についての解説です。
「手柄をたてた 河内源氏三代(かわちげんじさんだい)」
「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」の「て」の読み札は、「手柄をたてた 河内源氏三代(かわちげんじさんだい)」です。
絵札には、太子町にある源義家の墓が描かれています。この絵から見て分かるよう、お墓は立派な古墳になっていますね。
そして読み札には以下のように書かれています。
「太子字通法寺にある源氏三代の墓には平安時代に反乱鎮撫(ちんぶ)に奮闘した源頼信、頼義、義家が葬られている。三人は河内源氏(かわちげんじ)の祖で、子孫は後に鎌倉幕府を開いた源頼朝である。」
源氏三代の墓
大阪府羽曳野市にはかつて「通法寺(つうほうじ)」という仏教寺院が存在しました。
現在は、通法寺跡として「山門」のみが残っており、門をくぐると広場のような空間が広がっています。
この寺には、源氏三代として名をはせた「源頼信・源頼義・源義家」が眠っていることで有名です。
源氏三代の墓は羽曳野から隣町に位置する太子町にかけて点在し、1つの歴史スポットとしても知られています。
まず、山門から入って左側には「源頼義」の墓があります。
そして門を出てぶどう畑を左に東へ100メートル程進むと「源義家の墓」、そしてさらに南へ40メートル進むと「源頼信の墓」がありますよ。
河内源氏の礎を築いた三人が眠る場所へ、皆さんもぜひ訪れてみてください。
源氏三代の墓へのアクセス
名称 | 源氏三代の墓(通法寺跡) |
所在地 | 羽曳野市通法寺、南河内郡太子町大字太子 |
アクセス | 近鉄南大阪線「上ノ太子駅」から直線約1.2km 徒歩約28分 |
地図 |