シリーズ「かるたでめぐる太子町」では、筒井完次さんの「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」を解説しています。
太子町の歴史や史跡を紐解くこのコーナー、先週は「う:うぐいす陵(りょう)は 孝徳(こうとく)さん」をご紹介しました。
本日は「う」に続き、「え」のかるたである「五輪塔(ごりんとう)」の句を解説します。
「え:栄華(えいが)は鎌倉 頼朝と政子」
「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」の「え」の読み札は、「栄華(えいが)は鎌倉 頼朝と政子」です。
栄華(えいが)とは、財力や権力を持って栄えること、また贅沢をすることを意味します。
鎌倉幕府を打ち立て栄華を誇った頼朝とその妻 北条政子の供養塔が太子町の叡福寺に建っています。かるたの「え」にはその塔のことが描かれていますよ。
取札には、叡福寺の志南公苑の一角に建つ「源頼朝供養塔(みなもとのよりとも くようとう)」が描かれています。
現在は一般公開されていないこの供養塔を切り絵で見ることができるのでとても貴重な絵の一枚です。
説明書きには、「叡福寺境内の一角に安置された源頼朝と北条政子の供養塔と伝える二基の五輪塔。共に境内西方の石塔院跡から移築されたもの。頼朝塔は鎌倉時代の優品として大阪府指定有形文化財に指定される」と書かれています。
叡福寺にある五輪塔とは
日本の伝統的なお墓といえば長方形の墓石をイメージしますが、私たちに馴染みが深いこのお墓が世に浸透してきたのは江戸時代後期になってからだといわれています。
源頼朝や北条政子が生きた平安時代後期〜鎌倉時代には、五輪塔という和型の墓石が主流で、身分の上下関係なく建てられていました。
五輪塔は5つの石を積んだような形で、石にはそれぞれ「空・風・火・水・土」という仏教における自然界の5大要素が意味づけられています。
太子町にある叡福寺には、源頼朝と北条政子を供養するための五輪塔が存在し、昭和52年3月31日に大阪府の指定有形文化財「指定番号第47第 叡福寺 石造五輪塔(建造物)」という名称で指定されました。
現在は一般公開されていませんが、叡福寺志南公苑の一角にある五輪塔は、叡福寺の公式ホームページ「境内案内」から実物写真をご覧いただけます。
アクセス
名称 | 叡福寺 |
所在地 | 大阪府南河内郡太子町太子2146 |
アクセス | 近鉄南大阪線「上ノ太子」駅から金剛バス太子中央循環線に乗り、「聖徳太子御廟前」で下車 |
または近鉄長野線「喜志」駅から金剛バス太子葉室循環線に乗り、「聖徳太子御廟前」で下車 | |
地図 |
※お手洗い・駐車場あり