太子タウンでは、毎週筒井完次さんが手掛けた「切り絵でめぐる太子町」を「あ」から順にご紹介しています。
先週は、「へ:平安の感謝をこめて 地蔵盆」の句から、太子町地蔵盆についてお話しました。
今週は「へ」に続き、「ほ」で詠まれている「太子町出身であり、米作りの偉人 中山久蔵」の俳句をご紹介します。
「ほ:北海道で米作り 中山久蔵(なかやまきゅうぞう)」
「切り絵でめぐる太子町郷土史かるた」の「ほ」の読み札は「ほ:北海道で米作り 中山久蔵(なかやまきゅうぞう)」です。
絵札には、光福寺の本堂近くにある石段が描かれており、この石段には「石狩國月寒村 中山久蔵」と名が刻まれています。
そして筒井さんによる解説は以下の通りです。
「中山久蔵は太子町春日出身で、幕末から明治にかけて北海道で開拓にたずさわり寒地稲作を成功させ米作りを可能にした人物です。篤志家としても著名で改良した稲などを無償で配布しました。春日の光福寺は久蔵の菩提寺で、階段や延石に名が刻まれています。」
中山久蔵と光福寺
皆さんは太子町磯長村(今の春日)出身の偉人、中山久蔵氏をご存知ですか?
中山久蔵氏は、お米が育たない極寒の地「北海道」でも稲作ができるよう、品種改良とお米づくりに生涯をささげました。
太子町の役場には、彼の功績を称えて、入り口に顔写真や来歴が展示されています。
そして、久蔵氏となじみが深い「光福寺」は、太子町春日にある寺院であり、彼の菩提寺 (ぼだいじ)です。
光福寺の過去帳に戒名が収められいる他、石段に「石狩國月寒村 中山久蔵」と彫られているなど、現在でも彼の足跡を辿ることができます。
中山久蔵は若くして出身地である太子町を離れたため、当時は彼の存在はあまり知られていなかったといいます。
しかし、檀家である光福寺に自らが作ったお米を寄付するなど、関係は深いものでした。
光福寺は太子町役場から歩いて数分の場所にあるので、ぜひ近くを訪れた際は石段を見に行ってみてくださいね。
さて、今年2023年は、中山久蔵寒地稲作成功150周年記念ということで、企画展や事業がたくさん計画されています。
企画展のお知らせは太子タウンでも随時おこなっていますので、ぜひチェックしてみてくださいね。
過去の企画展はこちらからご覧ください。