
聖徳太子ゆかりの町、太子町の叡福寺で配布されている、ちょっとユニークな読み物をご存じでしょうか?
その名も「聖徳太子御廟上之太子」。
聖徳太子の物語をコミックで描いた作品で、訪れる方のあいだでじわじわと話題になっています。
今回は、その作者であるおしょうの日記さんにお話を伺い、制作の背景や込めた想いをたっぷりとお聞きしました。
描きたいと思ったきっかけは、偶然の出会いから

物語の舞台となる叡福寺は、聖徳太子の墓所と伝えられる地。
「なぜこの場所を題材に?」と聞くと、作者のおしょうの日記さんはこう語ります。
「叡福寺の副住職さんと偶然ご縁があり、そこで聖徳太子の1400年御遠忌や生誕1450年が近いと知って、ぜひ描いてみたいと思いました」
もともと歴史好きで、地域の偉人を顕彰するNPOの依頼で子ども向け歴史マンガを制作した経験もあるというおしょうの日記さん。
今回の作品は自主制作で、叡福寺のみで配布されており、全1000部でなくなり次第終了とのことです。
歴史をベースに、でも堅すぎない作品を
歴史を題材にした作品となると、「難しそう」と思う方もいるかもしれません。
しかし、おしょうの日記さんが目指したのは、誰でも楽しめる入り口としての作品でした。
「せっかくマンガで描くなら堅苦しいものにしたくない。ただ、歴史に基づいていることが伝わるように、引用や背景説明はしっかり入れました」
キャラクターの造形はあえてフィクション要素も取り入れ、資料は日本書紀や『聖徳太子伝暦』、叡福寺縁起などを参照しつつ、近つ飛鳥博物館や再現資料も活用。作品に厚みを持たせるため、構成には相当な時間をかけたそうです。
制作は主にクリップスタジオを使用したデジタル仕上げですが、歴史文献の引用シーンなどは筆によるアナログ表現を加えるなど、細部にまでこだわっています。

印象に残るのは教えを伝える者の姿
物語の中で、特にお気に入りだというキャラクターは、いつも前向きな「泊瀬王(はつせのおう)」です。
「落ち込む調使丸(ちょうしまる)に、「聖徳太子の教えを残せるのは自分たちだけ」と語る場面が気に入っています」
また、泊瀬王を失った摩理勢(まりせ)の「我、生けるとも誰か恃(たの)まむ」は、読者の心にも響く名セリフです。
お寺や歴史にふれるきっかけになれば
この作品は、歴史に詳しい方だけでなく、むしろお寺や聖徳太子って、ちょっと難しそうと感じている方にこそ手に取ってもらいたいと語るおしょうの日記さん。
「聖徳太子は観音菩薩の化身とされ、時に応じて姿を変えて人々を導く存在といわれています。そんな存在として、マンガでも太子を描いています」
この作品を通して、少しでも仏教や歴史への関心が生まれたら嬉しいという想いが、ページの端々から伝わってきます。
作品の入手方法と今後の展開
「聖徳太子御廟上之太子」は現在、叡福寺でのみ無料配布中で、残部が終了したあとは、叡福寺に保管される保存版を参拝時に閲覧できる予定です。
今後については、聖徳太子ゆかりのお寺の開創縁起をマンガ化できたらと語るおしょうの日記さん。
叡福寺を起点に、太子町の歴史がもっと身近なものになる──そんな未来が、もう始まっているのかもしれません。
この機会に叡福寺を訪れ、太子町の歴史観光にも触れてみてください。
作者プロフィール
おしょうの日記
お寺の歴史や開創縁起を多くの人に知ってもらいたいという思いから、ペンネーム「おしょうの日記」として活動。
聖徳太子ゆかりの寺院をめぐる縁起をマンガとして描き、それらを通して太子の伝記が浮かび上がるような作品世界を目指す。現在は自主制作を中心に、歴史と人々をつなぐマンガづくりに取り組んでいる。
Xアカウントはこちら
聖徳太子の時代解説マンガはこちら
アクセス
名称 | 叡福寺(えいふくじ) |
所在地 | 大阪府南河内郡太子町太子2146 |
アクセス | 近鉄南大阪線「上ノ太子」駅からコミュニティバスで聖徳太子御廟前下車 |
地図 |
※お手洗い・駐車場あり